患者は顧客としてサービスの向上を主張しだした

もともと性質の違ったものどうし、条件が整うほどお互いの差異が浮き上がり、今では完全に2層に分離している。

一度分離してしまったものを、再び混合する方法はあるのだろうか?

もう一度凍らせるのは、一番予算がかからないけれどたぶん無理だ。一度暖かい環境を知ってしまった粒子、「**液体**として振舞う**」自由さを知ってしまった粒子は、もう絶対に元には戻りたくないだろう。

水と油とを混合するのによくやられているのが、「乳化剤」を投入する方法だ。例えばマヨネーズは、卵という乳化剤を投入して水と油を混ぜている。世の中で売られている化粧品も同様。界面活性剤や乳化剤の力で、2種類の物質をまとめている。

医療の業界でこれをやっているのが、アメリカではやってきている「家庭医」や「ホスピタリスト」だ。

##家庭医は未来の医師像か
彼らは専門医と患者をつなぐ救世主なのか?

そうは思わない。家庭医や病棟医は絶対滅ぶ。**googleに取って代わられる**。患者と専門医とをつなぐことだけが家庭医の仕事ならば、技術さえ進歩すれば人間がやらなくても機械がやってくれる。

医者の仕事は、あくまでも患者を治すことだ。他の医者に紹介状を書くことじゃない。

コンテンツとコミュニケーション、コンテンツの価値の低下が言われて久しいけれど、人と人とをつなぐという仕事は、将来的には機械で代用できる仕事だ。それが1年後なのか、100年後なのかはわからないけれど。

イギリスや中国は、このあたりを割り切って考えているふしがある。イギリスではNP(ナーシングプラクティショナー)、中国では「裸足の医者」(もはや死語)という準医師の制度があり、本当の医者がやる仕事、特に「家庭医」的な仕事を補間しようとしている。結構いい制度にも思えるのだが、化粧品の界面活性剤一つでこれほど騒ぐ日本では、実現はちょっと難しい。

アメリカの家庭医は、ちょうど「**映画監督**」のような立場を目指しているように思える。いろいろな分野の専門家に声をかけ、人を集めるところまでは将来機械で置換可能としても、監督抜きでの映画製作は考えられない。しかし、最近までの日本の医療というのは、素人が監督抜きでホームビデオを撮っていたような世界だ。そこにいきなり、ハリウッドで大作を撮れるような「監督」が大挙乗り込んできても、それこそ予算がいくらあっても足りないだろう。

「何でも診る家庭医」を目指すアメリカでも、最近は「紹介状専用ワープロ」と化している家庭医も増えてきたという。訴訟が深刻になり、どんな些細なことであっても、自分の責任で診察を終了することが出来なくなった。患者を自分で診察しても、最後は専門家への紹介状を持たせて帰す。

分離した液体をまとめるのは、いずれにしても楽じゃない。

##趣味で医者をやる時代
紛体を十分細かくして、下から空気を吹き込むと、その挙動は**液体と同様になる**。

循環流動層というらしい。セメントの原料の攪拌に使われている方法だが、これをやると、水を加えなくても、粉体があたかも液体のように振舞うという。

これを上手くやれれば、低予算と十分なアクセシビリティの両立が可能になるような気がする。

どんな構図になるのかは読めないけれど、「粒子を細かくする」工程にあたるのはネットワークの進化、医師一人一人の個人事業主化、「空気」に当たるのは、医者がやるボランティアだろうと考えている。

たぶん将来、医者が余暇の時間を利用して、「医師のボランティア」を趣味にする時代が来る気がする。ちょうど、プログラマーの人たちが、仕事とは別にフリーウェアを作るように。

根拠は無いけれど。