余暇の時代には、各々の医師が2/5人分だけ働く。現場はいつまでも人が足りない。

収入の向上が目標にならなくなると、大事なのはいかに「短時間だけ」働くかになる。僻地医療をやる奴なんて、頭がおかしい医者扱いだ。志があれば僻地で頑張れるかもしれないが、365日ネットで「バカ代表」扱いされれば、どんな雑音でもいやになる。

医師は必然的に人の多い地域に集中し、そこでも人は足りなくなるだろう。

専門家は増える。この時代は誰もが専門家だ。心臓でも、血圧の専門家。脈拍の専門家。心筋の専門家。血管の専門家。専門性は、どんどん細かくなる。

全身を見る**、そんなリスクの高い仕事をする奴なんて、誰もいなくなる。

>さめちまった理由(ワケ)なんか・・さがせばいくらでもある
>何年もかけてやっと組み上がった研修医をあっさりブローさせちまうダサい客
>救急外来の使い方(ヘタ)に気づかず全て病院のせいだ
>仕方ね―から主治医を代えても、結局ヨソにいってあそこの病院はヤブだといいやがる
>そーそォこーゆうのもあったナ・・
>8年前だ・・左MCAの脳梗塞、すぐにt-PA使って2週間で歩かせた

>ヤマ: 覚えてます、よく回復しましたよね

>ところが家族は満足しねえ
>あまりにも順調に回復しすぎて、あげくもっと入院させろといいやがった・・

>ヤマ: 部長はあの時翌週予約でMRIをオーダーして・・

>そォ、退院前に T2 high の画像を見せてやったョ
>そしたら家族は大よろこびだ
>「その白点が消えるまで、もう2週間置いてもらえますね。」
>笑うゼッ!結局なんにもかわっちゃいね―のにナ
>・・でもやっぱり客のせいじゃないよナ・・
>オレの心が・・少しずつ・・そして確実に・・病院から離れていったんだ
>最後の最後はそれなんだ……

##悲観的な予想は外れる
ところで、こうした悲観的な未来予想というやつは、たいていの場合大外れになる。

ローマクラブの「成長の限界」などがそうだ。経済学者や科学者は、今ある知識の中でしか未来を予想しない。時代が進歩すると、必ず何らかの技術の革新というものが、世界を変化させる。

科学者の予言する悲惨な未来像というのはたいてい外れ、むしろSF作家の描く未来のほうが、より真実に近いことなどザラにある。

医療の未来もそうだ。場末の医者が、この10年ぐらいを眺めていて、勝手に垂れ流している妄想にしかすぎない。何か大きな技術の革新があれば、たとえばDNAの注射一発で糖尿病が治るようになったとか、幹細胞を利用した人工臓器に画期的な進歩があったとか、そうしたものがこの10年ぐらいに出現すれば、こうした医療の悲惨な未来というのは消し飛ぶのかもしれない。

##資本主義V2.0
医療の悲惨な未来という予想が部分的にでもあたるものなら、医療というのは「一生を賭ける仕事」ではなく、生活のためにやる部分と、趣味としてやる部分との2つの顔を持った職業へと変化するような気がする。

医者をやっていれば、どうしてもある種のリスクからは自由ではいられないし、相性の悪い患者さんにも笑顔で接しないといけない。そうした部分からは、お金をもらって、お金をいただいた分は働く。

一方、医者なんて、どうせ医者をやるしか脳の無い奴がほとんどだ。仕事の量が減った分は、「趣味で」医者をやる。例えば、自分の「友達」のために、その人の病気の「戦略」を一緒に相談してみる。お金は取らない。代わりに、責任は道義的な部分に止まる。それでも、知り合いや友達のためならば、人はタダでも必死になる。たぶんお金をもらう以上に必死になって、その人の病気のことを考えるだろう。

コンサルタントのように、少しばかりの報酬をもらってもいいかもしれない。それでも、ある程度の利潤は追求するけど、「利潤の最大化」は追求しない。 ボランティアで無償の貢献をするというと、聞こえはいいけど継続しないことが多い。 会社に限らず、ある程度の事業を回していくには、適切な利潤を得ることは必要だ。

利潤の最大化は、必ず不毛な競争を生み、結果として長続きしない。

[Hackers and Painters](http://www.shiro.dreamhost.com/scheme/trans/hp-j.html)、[資本主義V2.0](http://www007.upp.so-net.ne.jp/kengai/nikki/1999_06.html#d30)といった考えかたには、10年ぐらい先の医師の生き方のモデルがあるような気がする。