皇帝パルパティーンは生命の側に立ち、フォースの意思と対決する道を選んだ

世界を作っている力というものは、スターウォーズ世界ではフォースそのものだ。皇帝陛下といえどもその世界の住人。秩序だった世界の行く末がどうなってしまうのか、ヨーダ以上によく分かっていたに違いない。

スターウォーズのもう1つのテーマというものは、「共有地の悲劇」問題の解決だ。

秩序の保たれた世界では、生物は思う様繁殖し、やがては世界全体を食い尽くす癌細胞と化してしまう。秩序だった世界の中では、滅びというのは例外的なものだ。誰もが例外にはなりたくないから、繁殖の道を選ぶ。全ての生き物が精原無く繁殖するから、世界はやがて破滅する。

皇帝陛下は、質素な人だ。身にまとうのは、常に黒いローブ一枚。最高権力者でありながら、その力に奢ることなく、光のあたる場所を好まず、常に帝国の影でありつづけた。

>「自然はその美を各人の掴み取りに任せてゐる。手の大なる人は多く取り、小なる人は少なく取る。」

皇帝パルパティーンは、常に「**手の小なる**」人となろうとしていた。世界でもっとも「大きな」人が、世界でもっとも「小さな」手を持てば、共有地は滅びず世界は続く。皇帝陛下はたぶんこういう世界プランを立てたのだろう。少なくとも、ヨーダの提示した、**目的のない焼畑農業**的な世界プランよりは、はるかに現実的な選択だ。

##それでも世界は回る
皇帝陛下は、世界に仮想的な唯一神として君臨することで、世界に安定と秩序をもたらそうと考えた。アナキンは「ダース・ベイダー」となり、帝国の安定化に助力するが、最後の最後で「**アナキン@直情馬鹿**」の本来の姿を取り戻し、皇帝を裏切って帝国を滅ぼす。帝国は崩壊し、世界に残ったルークたちは、また新たな世界を作り始めた。

揺らぐことは、人の本質だ。アナキンは身内の犠牲を目にして揺らぎ、一度は秩序の道に走り、また息子の犠牲を目の当たりにして揺らぎ、元の自分に立ち返った。アナキンは2度の「揺らぎ」を経験し、世界の2つの選択肢を目にすることで、運命の子として世界の行く末を決定する資格を得た。

フォースの意志は、「運命の子」をして破壊と創造を続ける世界を選択させた。

混沌と調和とは二項対立ではなく、たぶん地続きの概念で、住んでいるスケールごとに同じ物でも混沌に見えたり、調和しているように見えたりするものだ。皇帝パルパティーンが作り出した「帝国」というものも、もっとスケールの大きな世界から見れば、カオスの縁の中に生まれた小さな構造のうちの1つであったのかもしれない。

皇帝陛下は聡明な方だ。フォースの意思を探求するうち、自分の作り出した世界の「小ささ」に、気がつき、自分もまたフォースの作り出した劇場の「役者」でしかなかったことに気がついていた。

##皇帝パルパティーンの見た未来の夢
皇帝陛下は、物語の最後で未来の夢を見る。

ルークとハン・ソロ**。妹と恋人、「守るべきもの」を持ちながらも、なお帝国に比肩する強い力で皇帝に挑む、若い世代。自分達の世代で達成できなかった「秩序のもたらす安定した世界」も、自分よりも強力な次の世代なら、あるいは実現してくれるかもしれない。

自分達の世代は、「フォースの手のひら」から逃れる事は出来なかった。次の世代はもっと手ごわい。その次はもっと…。**生命は、いつか必ず、フォースの咽喉もとに刃を突きつける**。

皇帝陛下の最後は、あっけなかった。あれは「役者」としてのプロ意識、さらに未来への種の進化に夢を託した皇帝の、最後の「**仕事**」ではなかったのだろうか。監督たるフォース。役者たる皇帝。両雄の思惑は一致し、役者はその舞台を降りた。それでも皇帝は未来の夢を捨ててはいない。

エピソード6の最後の場面。喜ぶルークを上から見下ろすヨーダやベイダー、オビワン達の魂の群れ。皇帝陛下は、そういう人たちを、更に高いところから見下ろす。

いつかきっと。自分達より強力な若い世代は、きっと「神」の意志を離れて、世界を生命の手に取り戻す。

皇帝陛下の胸中によぎったのは、「輪廻の輪を再び回す」という自分の使命を果たした満足感であったのだろうか?あるいは自分の果たせなかった夢を受け継ぐ、次の世代への羨望だったのだろうか?