やる気のある仲間を探すコスト

声や人を集めるためのコストというのは、それによって得られる力との収支が絶対に引き合わない。

新興宗教系の人たちの活動が続くのは、「人を集めるためのコスト」を**ゼロ**で計上できるからで、
「普通」の人は掛け声だけで集まったりはしない。

「みんなの声」が自分の思惑と違っていたときは悲惨だ。面白そうだと思ってはじめた仕事は
微妙にやる気のおきないものになり、それでも集めてしまった「みんなの声」の手前、
無理して続けざるをえない。

声を出してくれる人は多くても、手を出してくれる人はとても少ない。

自分の意志ではじめたことなら、少々のマンパワーの不足は気合で乗り越えるけれど、
そうでない時は大変だ。自分の思いとは違う、「みんなの声」による**やらされた感**
は、旗を振って人を動かそうとした人なら誰でも体験しているはずだ。

声を集めて何かをやる「正しい」手法は、コスト(お金以外のいろいろ含めて)的に絶対に
引き合わない。少なくとも、学生時代はそう思ってた。

代わりにやっていたのは、もっと「正しくない」やりかただ。

##1000人の署名より1本の酒
大学自治会というところは、たいていは体育会や文化会と仲が悪い。

「みんな」の力を集める自治会のやりかたが「正しいやりかた」ならば、体育会や文化会、大学祭
実行委員会といった面々は、まったく「正しくない」やりかたをする。

大学祭。失敗すると困る。日程も決まっているし、大学生だけじゃなくて受験生だって来る。
模擬店だって出る。食中毒が出たりすると、相当困る。

スローガンなんていう漠然としたものを相手にするのと、「祭り」とか「大会」とかいった具体的な
ものを作るときとでは、優先事項が全く違う。

前者の優先事項は、手続き的に「正しい」ことだ。みんなの声に従えないとき。会の流れが
一つにまとまらなくなったとき。自治会流というのは、民主的な議決が原則だ。
それが間違っていたり、あるいは議決の流れいかんでは目標の達成がおぼつかないときでも、
その議決が優先される。

大学祭は逆だ。最優先事項は、予定日に「祭り」を行うこと。手続きが正しいかどうかなんて知ったこっちゃない。

役所の書類は、大学のハンコを偽造してでも間にあわせる。予算がちょっと足りなくても、祭り直前には
申請している余裕なんか無い。下級生のバイト代で適当に穴を埋める。
白紙の領収書をいっぱい切っておいて、
後から適当に穴を埋める。

目的を達成するのにどうしても「力」が必要なときでも、「正しくない」連中はいちいち署名を集めたりはしない。

力を持った人の所に酒を持っていって、一緒に飲む。その人のところに行けないなら、
その人を知っている人に
紹介してもらう。頭は下げなくちゃいけない。「みんな」からは顰蹙を買うかもしれない。
それでも圧倒的に速いし、なにより確実だ。

「みんな」は旗振り役を裏切るし、熱はすぐに冷める。
一緒に酒を交わした個人は、「みんな」などよりよほど親身になってくれる。

##ネットは正しいやりかたを復活させるか
正しいやりかたの問題点は簡単だ。