乗っかるに値するスローガンのフィルタリング

インターネットは、人と人とをつなぐコストを劇的に低下させた。

「声」を集めるのは非常に簡単になった。「人」を集めるのは相変わらず
大変そうだけれど、それでも「みんな」に呼びかけなくてもよくなった。
興味のある人は、自然に集まる。呼びかけるスローガンが、
乗っかるに値するぐらい魅力的なものならば。

胡散臭いスローガンや、偽善の利権に乗っかろうとする連中をフィルタリングすることも、
インターネットは可能にした。

スローガンで人を動かすといえばマスコミの得意分野だけれど、近年はその成功率が
下がっているように見える。

マスコミは、どうしても「マス」を相手にする仕事だから、世の中の全ての専門家を
納得させるスローガンは作れない。とくに、そこに利権が隠れているとき、
誰かにそれを見抜かれる。

ネット上で時々おきる「祭り」は、マスを相手にしなくてもいいから、より専門性の高いアピールができる。
規模は小さくても、参加した人の納得度は高くできる。

##正しいやりかたの復権
納得づくで参加する「祭り」というのは、本当に楽しい。正しいやりかたで何かを成し遂げられると、
そのときの満足感は得られた結果以上のものがある。

目標を達成すること自体も、もちろんうれしい。それ以上に楽しいのが、祭り自体の持つ高揚感とか、
みんなと共有するある種の共犯者意識みたいなものとか。

便宜上、保守を任じているけれど、本当に好きなのは混沌だ。

熱狂できるなら、乗っかる思想は何だっていい。祭りは、見るより参加するほうが絶対面白い。
暴れられるなら、世の中のルールをもっと複雑にしてくれるなら、
社民@売国党に投票したってかまわない。

無力な個人の集団が力を発揮できるのは、まさにそんなときだから。

ずっと使ってきたし、何度も助けてもらったのは影響力を持った個人の力だけれど、
本当にほしかったのは「みんなの力」だ。

公平な議論。「正しい」闘争の結果の正しい勝利。

「正しいやりかた」とか、「みんなの力」とか、いかがわしくとも魅力的なこの正体不明のものは、
それに乗っかれれば本当に楽しい。

それで何かを壊せるならば、もっと楽しい。
「正しい」やりかたで自治会を引き継いで、先輩方の作ってきたものを全部否定したとき、
自分はとてもいい気分だったから。

最近、学生さんのグループ(一部医師)が厚生省と交渉して、
国家試験の問題を全文公開させることに成功した。

本当は非公開だった文書。
印刷だってわざわざ刑務所の中でやるような代物だ。

厚生省なんて、昔は学生レベルでは全く相手にならなかったし、
「酒」の力なんか全く通用しない、固い役所だ。

>目標を持って、人を集めて、正規のルートで国と交渉して何かを達成する。

自分はこうした「正しい」やりかたを全くできなかったけれど、うまくいってほしい
し、何よりもやっている人たちが活動自体を楽しめればいいなと思う。

その人達と思想信条を共有できるかどうかは分からないし、
その人たちが「サヨク」の思想の子供達なら(全然違うらしい)、その時点で敵認定してしまう
だろうけれど、少なくとも彼らは、自分の頃の方法論ではできなかったことを
やっている。「みんな」の力は国をも動かす。それを現実のものにしている。

それだけは確かだ。