大事な瞬間に間に合わなかったから、そいつは傷ついて当然
境界というのは、思考停止の道具だ。
境界を守ることにとらわれてしまうと、
手段と目的とが入れ替わる。
境界を守ることで何をしたいのか。そもそも何故それを守らなくては
ならないのかは、そのうち議論の対象にならなくなってしまう。
##ごめんで済んだら警察はいらない
かつて地中海地方にあった、「海賊の作った自由の国」には警察があったのだろうか?
1. 嘘つきと正直者とが戦うと、勝つのは必ず嘘つきのほう。
2. 正直者は常に負けるから、だんだんと理不尽な思いがつのる。
3. 正直者の多い社会を作ろうと思ったら、その理不尽さを「何かのせい」にする対象と、
正義の執行者が欠かせない。
「ごめん」で済んだら、警察はいらない。正直者と嘘つきとが共存する社会では、
嘘つきがすぐに「ごめん」と言うから、その言葉の価値が信じられなくなる。
正直者は固まって、警察を作る。
正直者の境界をはみ出した奴は、基本的には全部敵。争いは絶えない。
事態を解決するのは簡単。みんなが嘘つきになればいい。
嘘つきは嘘をつくから、常にに裏切られることを想定している。
みんなが裏切りを想定しているならば、正義の裁定者としての警察なんか必要ない。
境界なんて本当はなくて、あるのはきっと、「みんなの総意」みたいなものからの隔たりだけ。
その隔たりの力がいいものなのか、悪いものなのかは、状況に応じて確率論的に決定される。
最適解は、「みんなの総意」の真ん中あたりを維持しながら、自分の利益を出しつづけること。
そのやりかたというのは要するに、みんな少しだけずるをしながら、
対話と裏切りとを繰り返しながら生きていくことに他ならないわけで。
そういった混沌とした社会の持つ豊かさの総和というのは、「正直者の楽園」みたいな警察国家のそれよりは、
きっと大きくなると思う。
生死の境界。善悪の境界。職種ごと。病棟ごと。
病院がハイテク化して組織がだんだん大きくなって、いつのまにかどこに行くにも境界だらけ。
今いるところは小さな施設だけれど、病院サイドの境界はまだまだ少なくて、
自由度は高い。
境界の無いあいまいで豊かな世界。
第一歩は、まずは個室から心電図モニターを追い出す交渉から…。