与えられたルールの中で最善の解を目指す

評論家である前に、一技術者でありたいなと。

他の技術系の職業の方からは違うといわれるかもしれないが、医者という職業もまた技術系の仕事のひとつだと思う。

聖職者や科学者、研究者などではなく、かといって自嘲気味に語られるような奴隷労働なのでもなく。

科学の関心事は、ありのままの世界の成り立ちを理解することにある。一方、工学が取り組んできたのは必要な場所に水がない、ここに建物を建てたいが資材が足りないといった身の回りの問題を解決することだった。

世の中のすべてのエンジニアと同じく、医師もまた患者さんのさまざまな問題に対して、最適解を模索する。これもまた他のエンジニアの方々と同じく、こうした問題を解決するための十分な時間や予算は決して与えられることはない。

外来でじっくりと患者さんの問題点に思いをはせようものなら病棟からは急変コールがかかり、より詳しい診察手段を得るために、病院の事務長に新しいCTの購入を迫ったところで、稟議書を提出した瞬間に捨てられる。

理想を言うのは簡単である。外来は一人あたり最低でも15分はかけたいし、理学所見をフルにとらずに初診の人を帰すなんてとんでもない、いまどきMDCTの一つも入っていないような病院で働くなど、恥ずかしくて人に言えない…。すべての医者がこれを言い出したら、病院は潰れる。

実力のあるエンジニアというのは、あらゆる方面で妥協を強いられるような状況の中でも最適解に最も近い回答を導ける人なのではないかと思う。優秀な医師というのもまた、どんな状況であってもそれに応じた最大のパフォーマンスを発揮することを求められる。

与えられた状況が、たとえばまともに診察をする時間も無いぐらい忙しい病院であるなら、検査を過剰気味に行うことで自分の見逃しをカバーしたり、まともな検査機器など何も無いような田舎の病院であるなら、薬剤の投与の適応を甘めにして安全マージンを広げたりと、教科書どおりの理想の医療ではなくてもできることはいろいろある。

自分にとって悪い状況は、自分で変えるしかない。理想とは程遠い状況の中でも実績を出しつづけ、人を育てて賛同者を増やしていけば、状況はじわじわといい方向に傾いてくる。手を動かさずに文句だけいい続けても、何も変わらない。

教育体制がなっていないからこの病院はだめ、人が少ないから、この検査機器が無いからここではまともな医療ができない、と理想をいって放り投げるのは簡単なことだが、技術者としてはそれではいけないと思う。

循環器内科を志向するのであれば、ダンボール箱ひとつがあれば循環器外来は開業できる。

そこでマスター心電図をとりながら患者さんを掘り起こし、自分の外来患者が増え、黒字収支が続けばより高価な機器を購入できる。循環器疾患に興味を持ってくれるスタッフが増え、この病院でCAGをやりたいという声が高まってくればそのうちにCAG室が作れるかもしれない。

たとえそうならなくても、必要な患者を集め、その人たちをフォローしていく中でより専門的な治療のできる病院に紹介していけば、少なくとも新しい人のつてができる。自分のやりたいことがはっきりしているならば、そうしたつてを生かしてまた新しい道を開くことができる。

医療従事者に対する締め付けはますます厳しくなり、文句をいわずに忙しく働く医者は研修医から基地外扱いされる。もはや潰れかけてはいるが、そんな中でもエンジニアとしてのプライドだけは捨てたくない。