平等な競争の病理

一つの病棟内でも、ベッドの状況判断をする役、急変時にとりあえず突っ込んでいく役、他科との交渉役など、同じ兵隊の位の医者同士でも役割は分担される。

患者さんの急変時もそうだ。そのとき居合わせた医者が、同じ仕事に殺到したら患者は死ぬ。挿管をする奴、心マをする奴、ラインを取る奴、指揮をする奴などいろいろなポジションを分担するから、CPRは効率よくすすむ。

うまく回ってる組織では、みんなが別々の仕事をしている。

例えば営業ならば、自分がA社の担当ならば隣はB社の担当であり、それぞれ条件が微妙に違う所で競争している。自分がA社をしくじって、隣の奴がB社の受注をとったって、すぐに能力の差とにはならない。たとえ上司がそう見たって、心の中では「B社なんてのはライバルのX社が競合してないから楽なもんだよ」とか思える。さらに、役職やら年次やら学閥やらいろいろな関係性に囲まれていて、そのからみ具合はみんな違うのだ。(圏外からの一言より引用)

忙しい一般病院では、みんなで仕事を分担しないと業務が回らない。同じポジションに2人を置く余裕は無く、運営をする側も何とかして医者を効率よく働かせようと(言い換えれば血の一滴まで絞り尽くそうと)一生懸命考える。忙しい病院では、何も考えなくても病院内での自分の立場、自分の役割というものが上から降ってくる。

自分の存在意義、「自分ならでは」という立ち位置があると、組織の中でも安心して働ける。うまくいっている病院では競争意識は減る。別に勉強しない、というわけではなく、同じ立ち位置に2人以上の人間が乗ることが無いので、相手を出し抜く必要が無くなる。

病院組織のなかで、唯一競争を強制させられるのが研修医だ。

それでも以前はまだよかった。「医局」という医者集団の中に入ることで、研修医には「○○科」の人間という、最低限の立場が与えられた。

貴様らは人間ではない
両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない!
貴様らは厳しい俺を嫌う
だが憎めば、それだけ学ぶ
俺は厳しいが公平だ 人種差別は許さん
黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さん
すべて

平等に価値がない!

医局の名の元に、全ての研修医は平等だ。どんな研修医も、医局の責任で1人前の医者に育てなくてはならない。同級生同士の間で競争はあっても、学生の延長だ。今まで一緒に過ごしていた仲間なら、強制された競争のプレッシャーも何とか我慢できる。医者同士の頭の中なんて、そんなに変わりはしない。
クソまじめに登る努力するこたぁない!
神様に任せりゃケツに奇跡を突っ込んでくれる!
一生懸命頑張ろうと、適当に手を抜こうと、3年も経てば誰もがそれなりの医者になる。努力して競争するのは、それからだ。

ローテーション制度が導入されてから、競争のプレッシャーは余計に激しくなった。入局を前提としない現行のシステムでは、研修医が取替え可能な部品になる。医局としては2年間品定めをしてから、欲しい奴だけ勧誘できる。この間、研修医には「○○科の人間」という立ち位置さえ与えられない。

自分の存在意義をアピールするには、何とか他の奴との差をみせつけるしかない。「アピール」とはどうやったらできるのか。その模範解答すら与えられない中での競争は、結局のところお互いの潰しあいになる。

たしかにルールは公平だ。同じ科のローテーション、周り順も基本的には任意。ローテーションごとにチームは変わり、機会は均等。全てが研修医の際限の無い潰し合いを助長するのに最適な条件だ。

統一されたルールのもとでの競争は、少数の勝者と大量の敗者を生む。競争により人間をふるい落とすシステムは、優秀な奴らを選抜する必要がある時には非常に有効な手段になる。

自衛隊のレンジャー、米軍のグリーンベレー。こうした特殊部隊の人員は、全て競争の勝者だ。

それでも、特殊部隊だけで戦争はできっこない。必要なのは大量の兵隊だ。戦争をやるなら、まずは1人前に戦える兵士を大量に養成し、その上で必要があれば、エリート部隊を作るのが基本だろう。

素人同然の研修医を競争にさらしても、優秀な医者など生まれるわけが無い。生き残るのは、他人の足を引っ張るのが上手な奴、上司に気に入られるのが上手な奴。まじめがとりえの奴なんか、真っ先に潰される。少なくとも今自分が研修医に戻ったら、真っ先に潰しに行く。

競争を生き残る奴は少数。「製品」として外病院に流通できる奴の総数は減る。

それでもまだ、今の制度がこのまま何年も続く保証があるのなら、そのルールに最適化された人の数は増えていくだろう。どんな抗生剤にも、必ず耐性菌は出現する。研修医だって生き延びる。研修医一人一人の個性は様々だ。何年もの間、ローテーション制度というルールが変わらず施行されつづけるならば、学生時代にどう振舞えばいいのか、卒業してからどういう進路が正解なのか、そのルール下での最適解は必ず出現する。

ICUでの耐性菌を減らす方法論の一つに、第一選択の抗生剤を季節ごとに変更するという方法論がある。ルールがコロコロ変ると、そのルールに最適化された細菌が増殖しにくくなり、結果として耐性がつきにくくなる。現行のローテーション制度も、すでに見直しの動きが出てきている。

先が見えないならば、全て自分の責任で行動するしかない。どういった行動が最適なのかわからないなら、自分以外の周りの人間を攻撃する以外にやれることは無い。

自分で選択したことの結果に対しては、自分で責任をとる、これは「自己責任」の原則だ。リスクヘッジを個人の責任で行わなくてはいけないローテーション制度。セーフティーネットたる医局制度は、すでに厚生省の肝いりで骨抜きにされた。

失敗したときのリスクが高い状況では、リスクに対する対処能力の高い人、プライベートな相互扶助組織(人脈、学閥、閨閥など)の支援が期待できる人はお互いに集まり、リスクの回避能力をより高めようとする。

研修医集団の上位2割ぐらいの成績優秀な奴ら、部活の先輩のバックアップが期待できる奴らは群れる。あぶれた奴らは潰れるしかない。

誰もが「勝ち組み」はどこだと探し回り、自分だけは得をしようと必死になる。当たり前だ。やらなきゃ潰れるんだから。何のために医師免許を取ったんだ。

こんな状況で、誰が好き好んでリスクの高い科になど就職するというのだろう…。

循環器内科では今も入局者募集中です。