現状を肯定するという行為

例えば岩だらけの道があったとして、その道に転がっている岩は、道行く人からは邪魔者扱いされていたという状況があって。

ある旅人がその岩を指して「休むのにちょうどいい椅子だ」と、そこに座って休んだとき。

路傍の岩も、それを「椅子」といって座ってしまえば椅子になり、その旅人の座りかたが堂にいっていれば、やがて賛同して座ってみる人も増え…。やがて邪魔な岩場であったその場所は、休憩するのにちょうどいい場所として、栄えるかもしれません。

ものの価値というのは結局のところ、当事者がそれをどう思うかにつきるような気がします。

例えどんな場所であっても、そこにいる人が「自分のいるところはすばらしい」という信号を発信しつづけたならば、そしてその信号が、世の中の誰かの心に響いたならば。その場所で働きつづけることは損な選択、大学病院で働くというのは下らないことだという現在の流れは、あるいは変えることができるのかもしれません。

自己の置かれた現状を肯定する強い力というのは、現実の世界をも変える可能性があると信じています。

宮沢賢治は、北上川の河川敷のことを、なぜ「イギリス海岸」などと呼んだのでしょうか?

実際にいってみると分かるのですが、あのあたりはよほどの渇水期にならないと川床が見えません。物語のような風景を期待していくと、見えてくるのは単なる「ドブ川」だったりします(地元の人すいません)。

賢治がイーハトーブと呼んだ花巻の世界は、観光地にするにはあまりにも殺風景で、よほどの強い思い入れが無いと、あの場所を楽しむことなどできません。

世の中のありようというものは、「空」でしかない本体に、他者からの見えかたである「色」が写り、人の目に見える実在が作られると仏教は教えています(適当)が、仏教に傾倒していた賢治を取り巻く当時の岩手の状況は、単なる寒村でしかありませんでした。

インターネットなど無かった時代、観光でお金を稼ぐ考えなどまだまだ少なかった時代。宮沢賢治は、花巻の寒村をして「ここはイーハトーブというすばらしい場所」と宣言することで、そこに住む人の目に見える「実在」のありようを変えようとしたのではないでしょうか。

大学病院で働くという選択の価値は、どんどん落ちています。それはもう間違いなく。

白い巨塔」が出版された当時の状況と、今の大学の現状とを比べてみれば明らかです。もちろん部分的には、大学の復権というものも現れているところもあります。でも、大勢で見れば、大学病院で働きつづけるという選択肢は、明らかに「損な」選択になってきつつあります。

それでもやはり、現況を肯定する努力は続けて行きたいと思います。

卒業後数年間、市中病院で研修を積んで、そのあとここ数年は大学病院の中の人を続けていますが、もちろん大学病院の悪いところは山ほどあります。ここで研修することが、はたして全ての研修医に対してベストな選択肢であるといえるのか、正直疑問もあります。

でも、中にいる人間が「大学病院は損だ」などと言い出したら終わりです。それは、自分達の生活そのものを否定する、非常に惨めな行為であると同時に、困難な状況の中で大学という選択をしてくれた研修医諸氏に対する侮辱です。

大学病院というものは、全ての医者の自己認識の原点になる存在です。

「そんなことは無い」「もっとすばらしい施設はたくさんある」。もっともです。優れた臨床家は、むしろ外の病院のほうがたくさんいます。病院の医師以外の生きかた、何年もインドの奥地をさまよってみたり、ニカラグアで大腸ファイバーをやったりしている日本人の医師も知っています。どの先生も、自分達の生きかたをとても楽しんでいます。すばらしいことです。大学の奥でいじいじと仕事をしているよりも、よほど面白そうです。

それでも、すべての価値の原点は大学病院です。

自分の生れた川を最高と思わないサケはいません。サケの稚魚が生まれて初めて飲む水は、自分の生まれた川の水です。サケも「水の美味しい、まずい」を見分けるかもしれませんが、そのとき原点になるのは、常に自分の生まれた川の水の味です。

医師も同様です。医学生がはじめて目にする臨床医というのは、大学病院の医師です。その姿を見て、「自分もいつかああなりたいものだ」と思うか、「大学の医者にだけはなりたくない」と思うかは、それぞれの人の選択です。それでも、はじめてみる医師が「大学病院医師であること」を楽しんでいなかったならば、学生は医師として働くこと自体に夢をもてなくなってしまいます。

自分にできることなど、ごくごくわずかなものです。実力的な問題。年齢的な問題。今の施設にいる期間も、たぶんもうそんなに長くはないのでしょう。

それでも、ただ何もしないで悲嘆に暮れることはしたくありません。大学病院にはいろいろな問題があります。矛盾しているところ、帰れないところ、面倒な人間関係、重症ばかりの病棟。それでも、そういったことまで含めた「大学病院の面白さ」というものは絶対にあって、これを楽しまないうちは「病院で働く面白さ」というのは語れません。

悲嘆よりは変化です。

自分の発信した信号が、どこかの誰かに、わずかにでも変化を起こせたら。大学病院原理主義者である私は、そんなことを考えています。

大学という場所の未来像として、個人的には「臨床医の腕を競い合う場所」になって欲しいなどと夢想しています。

例えがマニアックになりますが、車の運転免許を取った頃、一時峠を走ることに夢中になっていました。

関東一円の走り屋連中は、土曜日の夜になると東京近くの某峠に集まりました。走り屋の聖地といえば、今も昔も箱根や赤城山、榛名湖周辺といった場所なのですが、いかんせん東京から遠すぎました。で、東京により近く、ギャラリーコーナーも充実した某峠はにぎわっていたのですが、カーブにウォッシュボード(凸凹)が設置させるなど、警察の嫌がらせ行為が相次いだため、今ではあまり人も集まらないようです。

関東で腕に覚えのある連中は、皆平日は地元の峠道で練習します。非常に迷惑な行為なのですが、走りに狂った頭には周囲の雑音など入りません。自分は暴走族ではなく走り屋。歪んだ正義感(どこが正義なのでしょう?)はアクセルを踏む足に力を与えます。

各地で研鑚(?)を積み、自分も一人前だと思う頃、やはり自分の腕を他人と比べてみたくなります。峠の勝負はタイムでは決まりません。ドリフトの当てかた。カーブへの突っ込みの激しさ。公道なので追い抜くことはできず、勝ち負けの本当のところは、走った当人同士しか分かりません。それでも走りに命を書ける連中(バカとも言いますが…)は峠に集まり、いつまでも終わりのない勝負を続けます。

大学というところも、お金や名誉を超えた存在として、各地で研鑚を積んだ臨床家が定期的に戻ってきてはお互いの腕を見せあい、技術を交換する場所として存続してくれればなどと考えています。

人の集まる峠に欠かせないのは、取締りの少なさ、ギャラリーが集まりやすい駐車場、規制の少ない走りやすい道といったものですが、今の大学には幸い、これらに相当するものはすべてそろっています。

有名な臨床家の「瞬間芸」は、学会のライブでも見ることができます。が、やはり臨床家を理解するには一緒に働いてなんぼです。

実現の可能性の無い空想でしょうか?
「現在自分の居る場所を知りたい」という思いは、きっと多くの臨床家が持っているものだと思うのですが…。