自然な成長とは何か

およそ知識というのは、正しい場所、正しいタイミングで発現されないと、なんの役にももたたない。

正しいやり方をせずに詰め込んだだけの知識では、試験の役にはたっても、現実世界の問題を解決するための道具にはなりえない。正しい知識を身につけるには、正しい分かりかたしないといけない。

知識を正しく分かるとはどういうことか。正しい知識の理解のしかた、効率のいい成長のしかたとはどういう方法か。

臨床医の世界なら、たくさんの患者さんをひたすら経験することが、本当に「正しい」方法だろうか?

経験を積むのに十分な受け持ち患者数。手技が上達するのに必要な症例数。こうしたものを用意することが、はたして研修医にとって正しい成長を促す役に立つのだろうか。

トマトの栽培農家の人たちの中には、「そうではない」と考えている人たちがいる。

永田農法という考えかたがある。

これは、ユニクロで販売された野菜としてよく紹介されるものだが、作物には極力水を与えない。必要最小限だけの水を与え、さらに有機肥料を用いず、最低限度の栄養分を化学肥料の形で与える。

厳しい環境で育てることで、作物にストレスをかけ、それを上手く行うことで、甘味の強いトマトとか、栄養価の高い野菜などが栽培可能になるという。

化学肥料を用いることについても、こちらのほうがむしろ自然に近いと論じる。有機栽培では、土壌中の最近がこれを分解し、植物は無機物の形になったものを根から吸収する。細菌が繁殖した土壌は根を腐らせ、吸収を阻害し、結局農薬が必要になったり、過剰な肥料を用いなくてはならなくなったりする。これをやめ、最小限の肥料を無機物の形で与えることで、むしろ自然に近い環境が作れるという。

もちろん、やり方を間違えると野菜は枯れる。この農法は、与える水分や肥料が少ない代わりにノウハウを学ぶのが難しく、また手間がかかる。

逆の発想をしている人もいる。

つくば万博のとき、一本のトマトから1,200個のトマトができるという化け物トマトが展示された。あれは今でも行われている。トマト以外にも様々な作物が作られているが、いずれにしても空気を十分に送り込んだ水耕栽培を行う。

十分な水分、十分な栄養を供給してやると、作物の成長に制限がかからず、非常に大きくなるという。この方法は、作物の成長環境を整えるのに資金が必要だが、一度育て始めると、作物の世話にはあまり手間はかからないという。

一見すると両極端な考え方だが、両方とも従来の有機農法、肥えた土壌に、豊富な肥料を与える「有機栽培」というものの不自然に対する反省から出発しているのは共通している。

永田氏のインタビュー記事より引用

有機栽培では多くの場合、植物が吸収できる量をはるかに超えた肥料が与えられているんです。吸収されずに余った肥料は植物の根を傷め、土地を汚すことになります。その結果、美味しい作物は育たず、更に肥料を増やすという悪循環に陥ります。

(水や肥料を制限することで野菜が美味しくなるのは)自然環境に近い条件で育てることで、野菜の持つ潜在的な力が目覚めるからなんです。自然界では何十日も雨が降らないこともあるし、豊富に肥料があるわけでもありません。水が少なければ、限られた水を効率的に吸収しよう、空気中の水分をうまく取り込もう、と植物が本来の姿に戻っていきます。

一方で、水耕栽培で大きな作物を作る考え方をする人たちも、こう述べている。
大事なことは、まだ小さい苗の時に、自分はどんどん生長しても必要なものは充分与えられるんだという安心感があること。
そうすれば苗は世界を信じ、疑うことなくどこまでも伸びていく。

永田農法は、自然な環境の再現のために有機肥料と豊かな土壌とを捨て、水耕栽培は植物にとっての理想的な発育条件を達成するために、やはり有機肥料と土とを捨てた。どちらの方法論も、その目的とするところ、最適化使用としている条件は全く違うが、出来てくるのは甘味の強いトマトであったり、栄養価の高い野菜であるところだけは共通しているのが面白い。

研修医が育つということを考えたとき、この2つの農法が捨て去った「有機肥料」にあたるものはなんなのか、「土」にあたるものは何に相当するのか。永田農法的な教育手法、水耕栽培的な教育手法。なんとなく思い当たるものもあり、その実装にいろいろ妄想は膨らむが、正しい答えは分からない。

トマトを育てるのと研修医の成長を一緒にするな?それはそうだ。初心者同然の研修医が一人主治医になるぐらいなら、患者さんにトマトを食べてもらったほうがよっぽど体にいい。

研修医は成長する。最初は野菜にも負けるところから始まり、いつかは野菜を超える。研修医がとりあえずトマトをこえようと思ったら、トマトのやりかたを学ぶのも悪くない。

「成長する」ということに関して、農家はこれだけ考えている。医者にも何かできるはず。