市中病院での分娩はサービスが悪くて味気ない。助産院や個人病院での分娩がトレンドに。市中病院の産婦人科は、いつしか不採算部門になり、事務方の対応が微妙に冷たくなる。

こうしたできごとは、すべて「ボウル」の縁を下げ、ボウルをボウルから平面へ、さらに半球へと変形させる力となった。

「玉」の当事者である産科医は、たぶん縁がだんだん下がっていくのをもっと前から知っていた。それでも仕事はやってくる。病人が来た以上は、ボウルの中心に居て働かなくてはならない。

世界の中心に止まることはだんだんと難しくなっていっても、外から見れば玉は中心から動かない。「**ならばもっと縁を引っ張ってやれ**」コストを気にする人たち、経営者やサービスの受け手の患者は、こう考えた。

ボウルが平面となり、何かの臨界を越えて半球になったのが、たぶん今から5年ぐらい前。3年前の岩手での撤退がニュースで報じられた頃、たぶん「玉」は動いたのだろう。

##ボウルを元の形に戻すのは不可能
一度転がった玉は、勢いを増すことはあってもそれをとどめることはきわめて難しい。

病院というのはネットワークを作っている。

どこかの町の総合病院の産科が吹っ飛ぶと、その病院では救急患者が取れなくなる。


救急患者が取れなくなった町の開業医は、リスクの受け手がいなくなるので分娩を扱うことをやめる。


町全体で子供が生めなくなり、その町の妊婦さん数百人が隣町の総合病院へ。


隣町の産科もギリギリでやっている。そこの仕事もハードになり、やがてその病院も吹っ飛ぶ。
↓←いまココ

3番目の町の総合病院には、今までの3倍の患者が押し寄せ…(以下略)

この雪崩を食い止めるには、どこかの市に巨大な産科のセンター病院を作って、そこで崩壊のカスケードを食い止めようという議論がよくやられる。でも、これはまず不可能だ。ベテランの産婦人科医を一人、当直付きで雇おうと思ったら、最低でも1年あたりフェラーリ1台分ぐらいの予算がかかる。産科のセンターなどをつくろうものなら、その予算はゴミ処理場のような高価な設備を作る予算以上に莫大なものになる。

ゴミ処理センターをどこの自治体が作るのか、いろいろな県でもめている。あれは、どこかに作ってもらって、それを利用させてもらったほうが、はるかに「**お得**」だからだ。

産科のセンターだってことは同じ。
>「**何しろ人の命がかかっていますから。よもや、うちの町の患者さんを断るようなまねはしませんよね…**」

自治体の思惑は、こうした施設をどこに**押し付けるか**が全てだ。

##リスクの感じかたは変えられるかもしれない

ところで、仕事に感じるストレスというのは、その仕事に伴うリスクをどう感じるかで大いにされる。

たとえ自分の置かれた地面がドームだからといって、乗っているのは玉ではなく人間だ。

地球上に乗っかっている全ての人は、みな球の上の住人だ。それでも、そこから転げ落ちるストレスなど、誰も感じていない(重力が…とかの突っ込みはしないで下さい)。

産科の場合、「万が一」をどう想定するかでリスクの感覚は大いに異なる。

自分がかつて研修を受けた病院では、お産を年間800人程度受けていた。当時の産科の常勤は2人。一人は病院長兼任。時々当直だけ来て下さる非常勤の医師はいたが、ほとんどのお産は、救急を含めて
実質2人でまわしていた。その下に、素人同然の研修医が数人。

自分が研修を受けた10年前、それでも当時の産婦人科の雰囲気はそんなに絶望的なものではなく、「産婦人科がやばい」という意識も研修医には無かった気がする。

確かに、当時のベテラン医師というのは超人的な人たちだった。それでも、超人といえど人間だ。手足は4本しかないし、ご飯も食べれば夜は寝る。彼らだって普通に家には帰っていた(2日に1回、午前3時ぐらいに…)。それでも産科は普通に回せていた。

当時と今とで、何が変わったのかと言えば、リスクに対する考え方だ。実際問題、訴訟などのリスクは、今も昔も一緒。もちろん今のほうが厳しいが、それだけで現在の産科総崩れ状態を説明しきるには無理がある。変化があったのは、悲惨な経過をたどった症例、悲惨な経過をたどった医師や施設の情報が、以前に比べて格段に容易に入るようになったことだ。

「状況」という漠然としたものを自分がどう感じるのか、それを判断をするための情報は、身近な人からはえられない。判断の材料になるのは、遠くはなれた人の体験談だ。身近な人は、自分の事を全部知っているから、世界の外からの情報を提供してくれない。

病院という社会は狭くて忙しい。横のつながりはほとんど無い。自分のおかれている立場というのは極楽なのか地獄なのか、そんなことすら、ほとんどの医師は自分だけでは判断できない。

一つの施設にいる産科医の数など、多くてせいぜい5人ぐらい、普通は3人だ。ニュースで流れる悲惨な訴訟症例、潰れた産院の噂。そうした情報を耳にしたとき、集団の誰か一人が「悲惨だ、辞めたい」と思ったとき、その意思というのは、医師の属する社会が狭ければ狭いほど、他の医師に伝わりやすい。

>銭湯の中では、湯船の中で同じ温度を共有していても、それを熱いと感じるかどうか、「水を入れる」という行動に移すかどうかは、そのとき湯船に浸かっている人数によりかわってくる。

>湯船に一人しかいなければ、熱いと思えば水を入れればいい。

>一方湯船に20人も入っていれば、黙って入っている他の19人に遠慮して、「熱い」と感じる自分の感覚を疑うようになる。

>意思決定の前に多くの相手の行動や意見を考慮すればするほど、その中の一人から受ける影響は減る。誰もが大勢に注意を払っている状況では、単独で行動する人は、誰の意思にも影響を与えることが出来ない。

社会に雪崩的な変化を起こす条件というのは2つある。