高コスト

この2つの条件がそろえば、「費用対効果」の論文が書ける。バカな現場の医者が、
高価な薬や機械を使いまくると、**世界経済という共有地**が破滅する。正義を愛好する
疫学者としては、なんとしてでも現場の暴走を止めなくてはならない。

疫学者とか、EBMが好きな人というのは、臨床の現場で働いている医者が憎くて憎くてしょうがない人たちだ。

「**あいつら、目先の利益に騙されて、また好き勝手やってやがる**」。一般臨床で「効果がある」
として信じられていた手技や薬が、「統計的に」論証してみていかに効果が無いものであったか、
一般臨床家の迷信を解き、**正しい**医療を広めるのは、疫学者の使命だ。

内科のバカさ加減を統計であげつらうのは、疫学者にとって最高の瞬間だ。実際、ICDは
費用対効果を論じると、「効果が無い」と判定されることが多い。それでも臨床医は、
不整脈で患者を失いたくないから、この機械を植え込む。

>数年前のペースメーカー学会で、海外のICDの権威が講演に来たとき、会場から「費用対効果が
証明されていないものを、あなたはどうやって広めようとしているのですか?」という質問が出たそうだ。

>演者の先生はこれに答えて一言。
>>**「あなたの恋人がICDの適応になったら、あなたならどうしますか?」**

>そう答えたという。

医療の分野で、費用対効果を論じるぐらいバカらしいことは無い。**世界経済という共有地問題**は、
疫学者が勝手に妄想した架空の土地にしかすぎない。

致命的な副作用について叩くならともかく、「高価すぎて」意味がないなら、技術者はどうやったらコストダウンができるかを考える。少なくとも、意味が無いなどという「意味が無い」答えを出したりしない。

費用対効果の論文は、人の命を査定する。

>○○人の人がこの薬を服用すると、1年間で致命的な疾患の発生率が3人減少する。一人の救命による利益が200万円とすると、1年あたり600万円の得。一方、○○人の人が1年間この薬を服用するためのコストは800万円。よって、この薬は「**意味が無い**」。

人の命がいくらなのか。神様でもなければ答えは出せないが、なぜか疫学者はその答えを知っている。

自分たちがICDが必要な病態になったときには、疫学者たちはどうするのだろう?

たぶん、彼らの命は**下々の人間**よりもはるかに高価に査定されているのだろう。

##上手なコンサルタントは質問者をいい気分にする
高価な機械や薬の問題はともかく、抗生物質の濫用による耐性菌の増殖という問題は、
確実に医者の首を絞めている。

抗生物質は効かなくなっている。大きな病院であればあるほど、その病院の細菌はひどい耐性を
持つようになっている。

ちゃんとした感染症の専門家がいるような病院でも、実体は同様だ。そういう病院はたいてい
地域の基幹病院だから、いろいろな病院から患者さんが搬送される。耐性菌の出現パターン
は、病院ごとに微妙に違う。大きな病院には、様々な耐性菌がDNAを運んでくる。その施設の
抗生物質の管理がどんなに徹底していても、一度出現した耐性を消すのは、かなり難しい。

それでも、抗生物質の使用を制限すれば、耐性菌はわずかずつ減少する。その「わずかさ」に
内科は焦れ、自分の患者さんにだけは「**いい目**」を見てもらおうと、抗生物質を使う。
感染症医にとって、その「わずか」な前進こそが勝利の証なのに、内科は平気で踏みにじる。
病院内には医者どうしの喧嘩の声が絶えることは無い。

>感染症医の中には例外もいる。どうやってもお互い喧嘩にしかならないはずなのに、その人に
感染症のことを相談すると、なぜか丸く収まる。

>内科医は、感染症医が推薦する治療を「自分で思いつく」。「**俺ってこんなに頭良かったっけ?**」。
なんだか気分が良くなり、また問題があったらコンサルトしようと思いながら、術中にはめられた
内科医は、「模範的な」抗生物質治療に精を出すようになる。

疫学的に正しいことと、現場での正しいやり方とは、しばしば異なる。

コンサルタントがいくら疫学的に正しいことを言っても、それは現場には通じない。そもそも立場が違うから、言葉が通じない。上手なコンサルタントは、「**現場に気がついてもらう**」。

現場から見て「いいコンサルタント」とは、現場の医者の気分を良くしてくれる人だ。わざわざ現場を離れて、専門家の下に出向いて、そこで因縁をつけられて怒られれば、二度とそんなところには行きたくなくなる。

コミュニケーションの能力というものは、コンサルタントの立場から物を言うときには、絶対に必要なものだ。

##共有地の悲劇を回避するには
環境問題やリサイクル、漁業の乱獲をどうやったら防げるのか。ゲーム理論の本などで引用される共有地のジレンマの実例というのは、どれも世界規模の大きな問題だ。

スケールの大きすぎる問題の解決策は、結局のところ警察権力的なものの導入しかないらしい。

共有地を維持するには、仲間同士で共有地を荒らさないような取り決めをするしかない。「仲間」の数があまりにも多くて、お互いのコミュニケーションのコストが大きすぎれば、裏切ったところで良心の痛みなど感じない。

裏切った人に罰則規定が無ければ、協定を守る動機も無い。誰もが利益を得たいから、共有地には一本の草も残らなくなる。これを回避するには、罰則規定の導入や、それを維持するための「警察」的な機関を作るしかないという。

この共有地のジレンマというものは、集落が十分に小さくて、**誰もが知り合い**という規模であればおこらない。小さな集落、小さな共有地であれば、誰かが裏切って草を貪ったら、「草が減った」という情報が皆に伝わる。誰かの裏切りは、すぐに残りの人たちへの不利益となって跳ね返る。

協定違反=>不利益のフィードバックが早くて、また違反をした人が誰なのかが一目瞭然という環境ならば、共有地の使用の協定は守られ、際限も無く草が食べられるという現象は生じない。

##「友達の多い感染症医」というやりかた
ある程度スケールの小さな共有地問題を解決するには、結局2つの方法がある。