文章のプロットで読者を引き込む、熟読や味読といった読みかたの必要な技巧系の小説

将来生き残るのは前者のほうだ。文章メディアの進化というのは、いかに「斜め読み」に耐えられるか、物語の内容を、いかに分かりやすく読者に伝えられるかという方向に向かうべきだと思う。ビックリするようなどんでん返し、プロットの妙といった要素は、今後はプログラマーとの共同作業になる。

##斜め読み前提の文章
文章メディアの利点のひとつは、未来予測の可能な**一覧型のメディア**であるという部分だ。本を開けば、これから読まなくてはならない文章や絵は一覧できる。時間軸に沿って進む映像メディアでは、スクリーンの前で待っていないと、先の展開が分からない。

小説にしても漫画にしても、実際に頭で読んでいるよりも、目は常に先を行っている。目で読んだ文章が意識に「音」として上る前に、無意識のレベルでは、文章はすでに頭に入ってきている。

斜め読みでより多くの情報を拾いやすい文章というのは、文章の構造というものが、あらかじめ分かっているものだ。どこに山があるのか、重大な情報は、見開きのページの大体どのあたりにあるのか、それにはどんな強調がなされているのか。そういった構造が、一冊の中で一貫していると、たとえページの一部しか読んでいなかったとしても、本一冊の大雑把な構造は頭に入る。

一方、山ほどめぐらされた伏線、コロコロ変わる人称代名詞、読者の予想を裏切るどんでん返しといった技巧は、飛ばし読みをしている人の障害になる。熟読する人には面白い仕掛けも、急いでいる人には単なる障害物だ。

##飛ばし読みに最適化された日本語という言葉

>**英文表記は視覚的には不利**
>英語は、即座に認識するのには不利な言語体系をもっています。
>漢字表記や日本語のように仮名まじり漢字表記に比べて、文字としての識別機能が落ちるのですね。

>例えば、本屋や図書館などに行ってみると分かります。日本の本屋で書籍の大量に並んだ本の中から目的の本を探すのと比較すると、欧文の本を探すのは、時間がかかります。
>日本語表記の本を探す場合は、並んだ書籍の背表紙の上に視線を走らせるだけで、選び出せます。選び出せないまでも、著者などで大体の見当をつけてから詳細に見る、ということができます。欧文表記の本が並んでいる場合は、そうは行きません。
>[編集とレイアウトの基礎知識](http://moriya.pepper.jp/atoz/atoz/h6.20.htm)より改変引用。

文章を一覧できないという現象は、なにも日本人が英語が不得意というわけではなく、英語圏に住んでいる人にとっても同様らしい。英語は「斜め読み」には向かない。これができるのは、日本語の大きな特徴らしい。

漢字かな混じりの文章というのは、飛ばし読みをするときには大きな利点がある。