2005-08-30から1日間の記事一覧

文章メディアの限界と可能性(後半)

##内容と表現は分離可能か 文章メディアが表現する中身というのは、その物語の「内容」と、「文章の起伏」とに大別される。物語の内容のみ読み出す方法として、「斜め読み」に代表される速読の方法があるが、 そこで置き去りにされた「文章の起伏」とは、文…

さらっと読みしたいときは、エッセイモード。

状況に応じて演出手法を選択可能な文章というものは作れないのだろうか。思わせぶりな前振りをなくし、文章を飾ることを止め、同じ単語を繰り返して伏線を張るのを止める。文章の修辞や、レトリックといった修飾手段は、フォントの大きさや濃さ、あるいはま…

じっくりと読んで、驚きを味わいたいときは、伏線モード。

一切の演出抜きで斜め読みしたいときは、斜め読みモード。

意味をもたせたい単語、あるいは重要な単語には漢字を使い、それ以外はひらがなでといった使い分けを試みること。

こうしたことに気を配りつつ、そのまま文章を書くと、起伏のない、「頭の悪そうな」文章が出来上がる。「紙に文章を書く」という現在の表現手段では、まだまだ文章の修飾は欠かせず、内容と表現との分離は難しい。このあたり、HTMLを書くときにテーブルレイ…

ひとつの名詞を表す単語は、文章を通じて同じにすること。

文章全体の構造というものを速い段階で明らかにすること。

識別性に優れた漢字とひらがなは、頭に情報として格納されるスピードが速い。

日本人は九九を覚える。だから計算が速い。同様に、漢字を中心にした言語を持つ人たちは、漢字の意味を大量に記憶しているから、文章理解のスピードが速い。小学校の頃に泣かされた、膨大な量の漢字の暗記というものは、日本語という文字メディアに、斜め読…

単語と単語との間は、明らかに見た目の異なるひらがなで結ばれているので、文章の中で意味を拾う必要のある部分は自然に明らかになる。

漢字は見た目で暗記されているので、一つ一つの語を読まなくても意味が伝わる。

漢字を多用することで、より少ない語数で大量の情報を伝えることができる。

文章のプロットで読者を引き込む、熟読や味読といった読みかたの必要な技巧系の小説

将来生き残るのは前者のほうだ。文章メディアの進化というのは、いかに「斜め読み」に耐えられるか、物語の内容を、いかに分かりやすく読者に伝えられるかという方向に向かうべきだと思う。ビックリするようなどんでん返し、プロットの妙といった要素は、今…

物語の力で読ませ、読者に一気読みを強要するようなパワー系の小説

その後ろの結びが1つなら「山」、2つなら「川」…

こんなぐあいに、結び目の大きさや数といった情報で短い文章を関連付け、話の流れは縄の長さや結び目の間隔で表現しているらしい。テープレコーダーのようなものだが、大きな違いがある。縄自体には何の情報も乗っていないという部分だ。どんなに巧妙に結ば…

そのに続く、2つの小さな結び目は、「おじいさんとおばあさんが…」

一つ目の結び目は「昔々あるところに」

レトリックというのは、着せ替え人形の服のようなもの。着せる服によって、同じ中身でも違って見せられる。

どちらの立場が正解に近いのだろう。古い物語は、それが文書として形成される前に、長い口づたえの時代を経ている場合が多い。昔話に代表される民間伝承もまた、初期の頃はすべて口伝で次の世代へと受け継がれた。 語り部は、聴衆の求めに応じて話を思い出す…

内容が肉ならば、レトリックは骨。分離すれば、文章は死ぬ。