消毒された世界

##子供の頃のお祭りは面白かった
子供の頃の夏祭りは、特別な空間だった。

熱心に踊る人。色とりどりのテキ屋の屋台。酔っ払った大人。
暗闇のなかに照らし出される、盆踊りのやぐら。

暗い夜は慣れていた。当時の小学生は、塾通いは当たり前。電車に乗って、帰宅は10時過ぎなんていう同級生はゴロゴロいた。地元の駄菓子屋では、小学生でも平気で火薬を買えた頃。塾帰りの夜中、同級生でつるんでは、近所の民家を爆竹やロケット花火で「**襲撃**」して遊んでいた空気の読めないガキにとっても、お祭りの夜というのはなにか神妙な空気になったものだ。

伝統など何もない地域。新しく作られたベッドタウンだけに人は多かったけれど、その土地に伝えられた「踊り」も、「口説き」もない、スピーカーでドラえもん音頭が流されるだけの、何の風情もない盆踊りの祭り。それでも、大切なお祭りだった。

祭りの場というのは特別なところだ。同じ公園なのに、普段とは違った空気。高揚して、少しだけ厳粛になる大人。

深夜まで続く盆踊りの会場というのは、照明がわずかでも外れると、その場所は真っ暗になる。普段遊びなれた公園や広場。どこに何があるのかは子供なりに把握しているつもりだったのが、光と闇のコントラストがはっきりするだけで、暗がりがとても恐ろしげな場所に見えてくる。慣れていた場所が、祭りがあるときだけは全く違った空間になる。ガキなりにドキドキしていた感覚。

##消毒されて滅んだ祭り
おかしくなったのは、地元のPTAの発言力が強くなってからだ。

日教組全盛の頃。担任の先生は、ストライキで年に1回は必ず授業を休んだ。この頃、ヤクザ排斥のためなのか、祭りの場所からテキ屋の人たちがいなくなった。屋台は全て、自治会主催の「健全な」ものに変わった。

祭りはつまらなくなった。屋台をやっているのは、みんなのお父さんや、お母さん。祭りは「**みんなのもの**」になり、健全になり、消毒された。恐ろしげだった祭りの夜の闇は、もはや日常の延長に成り果てた。盆踊りは盛り下がり、今ではもう行われていない。

##高揚感は多様性に宿る
お祭りの夜の高揚感というのは、同じ場所にいろいろな価値観の人が雑多に集まる興奮だ。

>踊りたい人。祈りたい人。儲けたい人。楽しみたい人。

価値観の違う人、空気を共有できない人というのは、日常の社会では同じ場所にはいられない。会話にならないし、価値観がかち合えば、喧嘩になる。

祭りの夜にはその日が「**祭りだ**」というだけで、何でもありになる。

別に祭りになったからといって、一般人とテキ屋の人たちが肩組んで親友になるわけじゃない。それでも祭りは特別だ。普段ならすれ違うこともないような人たちが同じ場所に集まってくる、あのごちゃごちゃした感じ。日常の延長では近づけないような空気の人たちでも、祭りの日なら何とかなりそうな独特の予感。そういった普段ならありえない感覚というのは、やはりお祭りの夜ならではだ。

夏祭り。とくに盆踊りのお祭りは、もともとは神送りの行事だ。

この世に来てくれた神や精霊を迎え、もてなし、送り出す。お盆という特別な時間の最終段階、迎えた精霊を再び送り出す行事にあたるのが、盆踊りのもともとの意味だ。

小学生の頃、市の親善使節(外面だけは良かった役得)で東北の某村にホームステイに行ったときに見せてもらった盆踊りは、宗教行事本来の色が濃く残っていた。

>地元の人が竹で組んだ低いやぐらの上は、太鼓と笛のみ。スピーカーや録音の音頭なんてヌルい道具立ては一切用いられることなく、そんなに広くはない広くない広場には、50人ぐらいの大人と子供。みんな声を張り上げ、思い思いの格好で踊りの輪に加わる。
>聞いたこともない拍子。1分間ぐらいの短い音楽が延々と繰り返される中で、踊りの輪は止むことなく深夜まで続く。

踊りはコンテスト型式になっていた。どんな採点方法なんだか、「ゴリラ女」と称する、ピンクの
ワンピースにゴリラのマスクをかぶった**男**の人が、2位になっていたのを覚えている。

古式だろうが現代風だろうが、それが祭りなら、やはり楽しい。

宗教行事は息が詰まる。空気の読めない子供がはしゃいでも、お祭りなら笑って流されるけれど、宗教行事なら殴られる。

祭りは別だ。昔ながらの型式の盆踊りだって、実際にはそんなに宗教的に運営されてるわけじゃない。どんなお祭りにだって、祭りの輪の片隅では、必ず係員のおじさんがビール飲みながらニヤニヤしてる光景があるし、盆踊りを神社の境内でやっている自治体も、結構ある。

##全てを飲み込む多神という概念
神社で盆踊りというのは、イラクのモスクでゴスペルを歌うようなもので、本当なら宗教戦争が起きても不思議じゃない。

それでも日本では許される。もちろんそうしたルール違反が洒落にならない宗教行事も多いけれど、「お祭り」という型式ばらない行事ならば、何をやっても許される。

日本の「祭り」というものは、多神を信奉する人たちがはじめたからだ。

多神を信奉するということは、いろいろな価値観に等しく敬意を払うということだ。

一神教の教義や、無神論者の教義というものは逆だ。自分達の信じる価値観以外、どんな価値観も等しく**見下す**。自分の地元の祭りを消毒して、祭りをつまらなくした人たちは、まさにこうした人たちだった。

多神を信奉する立場の人は、その立場上、一神教を信じる人たちには逆らえない。

多神論者は、いろいろな考えかたがあってもいいと思っているから、意見の対立を好まない。戦いを「ネタ」として好むことはあっても、本気でやろうとはしない。

一神教を信じる人たちは、自分達以外は全て「下」だから、声高に自分達の考えを主張する。一神教徒の戦いには、**優劣**の決着が必須だ。どちらかが消えるまで争いを止めないから、多神を信奉する人たちは別の場所に避難する。結果、そのエリアには一神教を信じる人以外は残らなくなる。

世界は一神教の教義に消毒される。別の考えを持つ立場の人たちは、その協議によって存在を否定され、世界からは「いないこと」にされる。本当は、しっかりと別の場所に存在してはいるのだけれど。

同じ教義に支配された世界では、祭りというものが成立しない。祭りの空気を作っているのは、多様な価値観が同じ時間、同じ空間に集まって生じたエネルギーだ。皆が同じ価値観でしゃべっていても、それは日常の延長になりこそすれ、絶対に「祭り」にはなりえない。

##消毒されつつあるネット空間
>そして俺自身ジレンマに陥っているのは、こうした変化は(俺の感情とは逆に)本来歓迎すべき事であると自覚している点です。インターネットは年々健全な住みよい空間になってきつつあります。これは実生活ではモラルだとか道徳だとかを口やかましく言っている俺としては喜ばしい筈なんだけど、なぜか喜べない。なぜか、インターネットにはゴミ溜めみたいな部分が残っていて欲しいと願っているのです。
>[元ORJPの隠れ家](http://d.hatena.ne.jp/orjp/20050910#p1)より引用

ネットにつなぎ始めた頃、ネット空間というのは毎日がお祭りのような空気だった。見たこともない話や映像。あやしげなページや掲示板。不用意にリンクを踏んではnukeを食らったこともあったし、ハードディスクを消されたこともあったけれど、アングラなページをのぞく楽しさというのは、昔のお祭りの夜、真っ暗な公園の暗闇をのぞくときのわくわくした感じそのものだった。

今、ネット空間も実社会のモラルで消毒されつつある。本当はそんなことはなく、アングラだった人たちは、検索エンジンの影で今でも同じように活動しているのだけれど、一応表社会からは「消えた」ことになっている。

社会的に正しい倫理で社会を消毒すれば、アングラな雑菌は消える。それはもう確実に。間違いなく。「正しい」価値観というのは、同時に他の価値観を否定してしまう。世界の価値観が1つしかなくなれば、そこは日常の延長となり、世界からは祭りが消える。

>田代祭り。荒らし大戦。韓日掲示板戦争。2ちゃんねる閉鎖騒動。

倫理的な是非はともかく、こうした非日常的な「祭り」がおきるとわくわくする。自分が参加していなくても、こんなことをやる連中が同じネット上にいるというだけで、ネットという世界が魅力的に見える。

自分のWebにも、使いもしないドールリカがまだ置いてある。今はもはや博物館行きに近いスクリプトだけれど、こんなものを日常的に使っていた時代がこのまま昔話になってしまうなら、やはりネットという世界は確実につまらなくなる方向に向かっているのだと思う。

ネットに実世界の倫理を持ち込んだ人たちが勝利したとき、その空間にはどんな非日常性があるのだろう。祭りを待つ高揚感も、祭りの後の寂しさもない、そんな消毒された空間に、一体何を求めるのだろう?