新しい契約は、「1年後の野菜」に対してお金を前払いする。3本のニンジンの代金で、1年後に5本もらえるかしれないし、最悪1本も出来ないかもしれない。そのリスクは消費者もち。

野菜の生産者のほうは、不確定要素を減らすために農薬を投入したりしなくても、不作なら不作なりに、豊作なら豊作なりにその1年分の努力に対する報酬がもらえる。天候や虫害といった不確定要素のリスクは、消費者が分担してくれる。農家は、ただただ美味しい野菜を作ることだけに専念できる。

このシステムだと、全く働かなくても1年分の収入が確保できる。畑に何も植えなくても、1年後「不作で全滅でした」と契約者に伝えれば、それでも収入は変わらない。こういうズルを避けるため、生産者には消費者サイドへの説明義務が生じる。

例えば1枚の畑に10人の消費者が契約したとして、10人は交代で農家を見張る。農家は、消費者から求められたとき、自分が何をしているのか、今どうなっているのかを説明する義務がある。このあたりの信頼関係、あるいは穏やかな相互不信の関係が保たれていれば、この契約はお互いがそこそこ幸せになれる。

##昔の生協は結構上手くやっていた
今は「生協」というのはそれ自体がブランドになってしまったけれど、出来たばかりの生活協同組合というのは、上記のような契約システムを地場でやっていた。

小学生だった頃、地元の生協で食パンを作ったことがある。地元のをばさま方のつてで、どこかのパン職人と数十人の主婦の人たちが契約を結んだらしい。

最初の頃はあまり美味しいパンは焼けなかったらしいが、生協はその食パンを購入しつづけ、同時に小麦粉はこれで、酵母はこれで、とあれこれ要望を出しつづけたそうだ。近所のおば様たちから徹底的にいじめ、もとい鍛え上げられたそのパン職人の人はすごい腕前になり、そのうち安いのにとんでもなく美味しい食パンが食卓に上るようになった。

そのうち、あまりにも厳しい要望に疲れたのか、そのパン屋さんはいなくなってしまい、さらに1年ぐらいしてから近所に独立した店を構えて、結構成功していた。パンの値段は倍ぐらいになっていたけれど、やはり美味しいパン屋さんとして近所の人気店になっていた(3年ぐらい経って無くなってしまったけれど)。

##医療の分野での農薬や化学肥料
病院の仕事は、不確定要素だらけだ。

論文どおりの治療、あるいは欧米流の「正しい」治療をやれば、
たしかに論文どおりの成功率で治療は成功する。一方で、やはり論文どおりの可能性で、その治療は
一定の割合で失敗する。

たとえ成功率99%の治療であっても、その治療を受ける患者さん、あるいはその治療を行う主治医にとって、「結果」と呼べるのは成功か失敗かのどちらか一方しかない。治療が失敗すれば、弾劾されるのは論文の作者ではなく、主治医だ。

論文どおりに行えば、成功率99%。それでも、その成功可能性がさらに0.1%でも向上するならば、主治医はどんなに姑息な手段も厭わない。

医療の業界で不確定要素を減らす手段、農業での農薬や化学肥料にあたるものというのは、たとえば
深夜だろうが明け方だろうが全身のCTスキャンを撮ってみたり、風邪を引いたぐらいの症状の患者さんに対して、世界中の細菌を殺しかねない広域抗生物質(そういうのに限って、効果的だけれど副作用は少なかったりする)を投与したりといったものだ。