どこまでやったら、「ゴール」とするのか。

大事なのは、それぞれの専門科ごとの、入り口と出口の部分の
通化だ。

各診療コンポーネントの内容については、それぞれの専門家に任せる。どんな方法であっても、
要はその人の守備範囲の病気が治れば、それでその人の役割はおしまいだ。診療コンポーネント
入り口部分は、出来れば「症状名」で分類する。特定の症状が出た場合、この検査をして、
結果がこうであったらこの家の守備範囲とする、というように。

専門各科の「縄張り」を明文化してしまうと、どんな疾患で入院した人でも、必然的に複数の医師が
かかわりを持つようになる。コストは増大するし、処方も増える。責任もあいまいになる。

それでも、日本は専門医の国だ。

一般内科医、一般外科医といった少ない種類の一般医があいまいな医療を
やっていた時代から、専門家集団のネットワークが患者を診察する時代へ。複数の医師が
同じ人を診察するコストは、コミュニケーションの効率化でなんとか相殺する。

主治医などというものは過去の遺物、あるいはぜいたく品になる。

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##治療の知識の再利用性
医師が患者を治すためには、どの科であっても何らかの知識が必要だ。

20年目のベテランと同じ立場に立つにはやはり20年近い知識の積み重ねが
欠かせないし、体で覚えた知識にも毎日のアップデートは欠かせない。

治療のための知識というものは、講義型式では伝えられない。凄腕の医師というものは
量産できないし、同じ道を歩んでも、同じ高みまで登れる人は少数だ。

これではいかにも非効率だ。例えば心臓外科医になりたければ、1年目から麻酔のかかった患者の
手術だけをすればいい。患者さんとの会話など必要ない。
理学所見や聴診のテクニック、心電図の解釈すらも
必要ない。それは内科の専門家がやってくれる。
本当に心臓の手術だけのプロになるなら、メスだけ握れれば
それで十分。

外来のプロ。手術のプロ。術後管理のプロ。それぞれ専門家が独立すれば、成長の効率はいい。

医者としてやっていくのに必要な知識というのは、いわゆる「腕」に相当する知識と、治療につながる
知識との2つに分類される。