匿名性の高いインターネットで、大人を装った子供の意見が

社会に大きな影響を集めていく展開

20年近く前に書かれたものとは思えないぐらいに現在を当てている。

SF作家は、未来を当てるのが上手だ。

経済学者、社会学者の未来予測というのはたいてい外れる。
学者は、過去から現在を見て、そこから未来を予測することしか出来ないから、
現在の技術の枠組みでしか未来を読めない。
SF作家は、まだ実現していない技術を想像して、
「それがあったら人はどうするか」という視点から本を書くから、
不気味なぐらいに未来を的中させる。というか、あたりそうなやつしか読まないけれど。

このお話の敵役、昆虫型生物「**バガー**」は強い。一種のテレパシーのような能力を持っていて、
お互いの思考が一瞬手相手に伝わる。戦略が速いから、全く勝てない。

主人公達が活躍する戦争の前。人類とバガーとの戦争は2回行われ、
2回ともが人類側がボロ負けしている。
現代戦闘の要、「**通信を制するものは戦闘を制する**」原則は、未来社会でも生きている。

##通信速度の向上は多様性を殺す
面白いのは、この「通信時間ゼロ」という長所が、同時にバガー側の弱点として描かれることだ。

バガー社会には通信のオーバーヘッドが一切ないから、全ての軍勢を最高に効率よく運用できる。
指揮をとるのは一人で十分で、末端の現場は何も考える必要がない。

必要がないというよりも、この種族ではそれが当たり前。
誰かの考えは一瞬で「社会全体の考え」として広まるので、
個性や人格といったものが育ちようがない。

こうした社会状態を何万年も
維持してきたから、バガーの社会でものを考えるのは「女王」バガーのみで、
あとはすべてただの働きアリという設定になっていた。

物語の当初、人類側はボロ負けを喫するのだが、女王の乗っていた船を
沈め、それと同時に相手側の全軍が沈黙するのを見たときから、
人類側が勝機を見出す。

頭を叩けば残りの全ての敵が無力化する**展開は映画「インディペンデンスデイ」あたりを髣髴とさせるが、この小説ではもう少し描写が細かい。

>生まれてからずっと天才司令官となるべく育てられてきた少年少女の集団は、お互いに「戦争ゲーム」を
しながら競争する。誰が一番優秀なのか。将来は、誰が皆を指揮するのか。
>戦争ゲームはチームで行うので、リーダーはいろいろなフォーメーションを考え、細かい作戦を立てる。
>主人公は、細かいフォーメーションを捨て、現場での細かい作戦はチームの「小隊」リーダーに全面的に
任せることで、フォーメーションをとって集団で戦う相手チームに勝利する。

物語の終盤、主人公のこうした経験が、最終的に人類側に勝利をもたらすことになる。

##現場を信用する浸透戦の考えかた
戦争では、守りを固めた相手を攻撃するのは極めて難しい。

条件が同じなら、誰がどういう戦いかたをしても、やはり犠牲は多くなる。

将軍が一人で全軍を指揮するとき、人間の心理として「最も脅威を与える対象をまず破壊すべき」
という考えかたにとらわれてしまう。203高地の戦いが悪い例で、日本軍は一番強そうなところから攻め、
大きな犠牲を出した。

全体としてはどんなに強力な軍隊に見えても、しょせんは人間の集団だ。
細かなレベルでは、強い所と弱いところは必ずある。

ところが、将軍の立場からは、
「弱いところを通過せよ」という命令は出しにくい。
将軍の目線の位置は全軍が把握できるぐらいに高い所にあるため、
相手の弱い所がどこかわからないからだ。

弱い所を探し出して攻撃するには、軍勢を細かく分けて、現場の指揮官を全面的に信用して、
指揮権を任せるしかない。

こういう戦いかたを浸透戦術という。

>第一次世界大戦は、「西部戦線異常無し」に出てくるような塹壕戦の時代だ。

>塹壕をしっかり作った敵の陣地は、大きな犠牲無しには突破は不可能であると考えられていた。
>ところが、夜間に小人数で弱い地点を襲撃して、そこだけを突破することはそんなに難しいことではなかった。
>このため、ロシアの将軍は攻撃部隊を10名前後の小グループに細分化し、約500kmの幅に軍隊を展開して敵軍の突破作戦を行った。攻撃は例をみない成功で、オーストリアハンガリー陸軍は敗北したという。

物語の終盤、司令官となった主人公は現場レベルの指揮には口を出さず、
大局を決定する役割に徹する。
物語は主人公を中心に描かれるから、SF的な派手な戦闘シーンはほとんど出てこない。

人類側の情報伝達の速度の遅延は戦略の多様性を生み、終盤で人間側に勝利をもたらした。
情報伝達速度を「瞬時」にまで加速させたバガーは
種としての多様性を失い、結果として敗北した。

##通信速度を向上するには
インディアンの煙通信から始まって、モールス信号や無線、携帯電話からインターネットまで、
通信メディアというものは改良されてきた。

いくらメディアを速くしても、人間の言語理解のスピードに上限がある以上、
情報通信のスピードは一定以上には上がらない。

人間同士の言語理解の速度を向上させるには、お互いに共有している基礎情報の量が鍵になる。
与えられた情報を理解するための枠組み的な知識「**スキーマ**」が共有されていれば、
情報の理解の速度は飛躍的に速くなる。

医者も毎日勉強する。自分の専門領域の論文を読むとき、その理解のスピードは非常に速い。

文中で作者が言いたいのは何か。この論文のどこが新しいのか。
自分の領域で、使える内容はあるのか。
英語は難しくても、結構簡単に理解できる。

これが専門分野以外の医学論文であれば、その理解速度は
かなり落ちる。医学以外の分野であれば、なおさら。

論文の作者と読者とで共有しているスキーマが多いと、論文を読むのはそれだけ速くなる。
一方で、共有しているものが多いほど、与えられた情報に対する判断も同じになってしまう。

新しい治療デバイスが発表されたとき、それがどの程度重要なのか、
あるいはどの程度「売り物」になるのか。
その世界の専門家であれば、腹の中で考えていることはいつも大体一緒だ。
それが正しいのかどうかは別として。

##遅延は個性を生む
人間同士の情報伝達は遅い。

病棟で、何か研修医の予期しなかったことがおきた時、ベテランならば、あるいは他の研修医ならば、
その出来事に対する対処を知っているかもしれない。

それでもそれを聞きだすだけの時間は与えられない。大体、その瞬間に誰が正解を知っているのか、
ベテランはそのときどこにいるのか、そんな情報をリアルタイムで伝えるシステムなど、病院には
実装されていない。

いまの病院システムでは、どんな職種の人でも「次におこりそうなこと」を予測する必要があり、
また現場では何らかの判断を強いられる。

毎日の予測や判断は考えかたの多様性を生み、ネットワークの遅延があるからこそ、
戦略の多様性が生まれて医学は前に進む。

##通信系の発達は世代継承を妨げるか
世代というのは、単なるコピーを作っただけでは継承されない。

個体発生は、系統発生を繰り返さないと一人前の生物とはみなされない。
ベテランの現在持っている知識を
全てコピーできたとしても、その研修医はベテランにとって代わることなど出来ない。

ベテランをベテランにしているのは、知識の量ではなく判断の場数だ。

徒弟時代の小さな現場レベルでの判断の訓練、
ベテランになってからの大局的な治療方針を決定する訓練、
様々な世界レベルでの判断の積み重ねがなければ、ベテランの存在感や急変時の対処能力
といったものは受け継ぐことができない。

携帯電話の発達した現在。病院内のどこにいても、ベテランとは瞬時に連絡が取れる。
正しい判断は一瞬で返ってくるし、対処が速いことは予後の改善にもつながっているかもしれない。

通信速度が速くなる一方で、新人が新人でいる期間は、明らかに昔よりも長くなっている。

危険な手技を一人でやる機会が減った、ローテーション研修の弊害、いろいろな理由はあるけれど、
やはり「自分ひとりで何かを判断する」機会が減った影響は大きい気がする。

##情報の並列化の果ての個性の獲得
SF漫画「攻殻機動隊」のアニメ版(どこにも売ってない…)では、
情報を共有しているAIを搭載しているロボットが、なぜか個性を獲得してしまう
というテーマが語られる。

物語中では「鍵になるのは好奇心」と語られているが、
ほとんど全ての情報をリアルタイムで交換できることが当たり前になったとき、
そこに個性というものが自然発生することなどありうるのだろうか?

最近の新人は、覇気がない。よく言われる。自分もそう思う。

覇気とか、やる気とか、好奇心とか、工夫とか、新人がベテランへと這い上がるのに必要な要素というのは
通信系の遅延をカバーするために必要な技能であって、そういったものを身に付けるためには
やっぱり「親切すぎる」というのはよくないことなのかな、とも思ったり。

情報の流れが速くなると、新人の成長スピードは遅くなる。
でも、もっと情報を与えつづけて、情報とか解答といったものは「**あって当たり前**」になったとき、
新人の好奇心や成長の可能性というものはまた花開くものなのだろうか?