酒の層

どこかの層ので勝者は、どこかの層では敗者になる。

議事録に残る「会議の結論」は、どこかの層で出された結論に一致するけれど、全ての層で同じ結論に至るとは限らない。

体育会の主将会というのは、こうした多層構造の間を行き来することで、
誰もが敗者にならないようにできている。

##論理の層と空気の層
いわゆる「議事録に残る」議論は、全て論理の層で行われる。

体育会でも会議の建前は民主主義だから、学年や大学名など関係なく、
論理を戦わせる議論の場というものも当然存在する。

大会前の主将会の時間など短いものだから、議論の流れとは別に、
主催者側は最初から「想定している結論」を
用意している。電話だろうがメールだろうが何でもありの時代。会議の前には当然根回しが行われ、
出席する主将のうちの何人かは最初から議長に協力する。

みんなできれば揉めたくないから(主将会が揉めると、後の大会の雰囲気が悪くなる)、
「議長はこうしたいんだな」という
空気を勝手に読む。論戦の流れと「空気」の流れが一致すると、会議は大過なく結論に至る。

もめない会議は、論理を尽くして、みんなが空気の流れを察したところで終わる。
議事の結論は、たいていは「**空気の層**」で決着される。

議論が論理層で動いているとき、こうした大学ごとの立場の差というものは無視される。
新人は論理層で頑張る。会議の場というのは、ある種社交の場だ。ここで各大学に
自分を紹介して、競技が終わったら親しく飲む仲間を作る。

会議の「空気」を作るのは、ベテラン勢の仕事だ。そうした人達はあらかじめ「根回し」を受けているから、
自分の言いたいことはもう会議の前に言い尽くしている。議論が論理層で動いていて、会議の空気が
乱れていないとき、ベテランは黙っている。論理の流れが「空気」の志向する方向と違ってくると、
ベテランがそれを修正する。

問題は、論理層で頑張っている主将が空気を読まなかったときだ。

論理だけが突っ走る会議は、「**空気が汚れる**」。
そんなとき、議長はトイレ休憩をはさんで議論に「**水をさす**」。

##会議がひっくり返る水の層
「水入り」になったとたん、会議の空気は一変する。

主将会は、様々な立場の人の集まりだ。3年目の若い主将もいれば、
留年した「7年生」が同じ会議の席に座っていることもある。
人数の多い大学、伝統の長い大学もあれば、今年が初参加の大学だってある。

議事が論理層で動いているかぎり、会議ではこうした立場の差というのは関係ない。
論理的に正しい奴は、体育会でも正しい。

一方、議論の層が「水の層」に移ったとき、空気は一変してベテランが動き出す。

議長の本音は何なのか。「落しどころ」をどこに持っていこうとしているのか。
そうした流れを考えるまでに、水面下でどんなやり取りがあったのか。
議事録にはのらない話がどんどん出てくる。

主将会にも派閥がある。いつもまとまっている北海道勢。
東北と上越との確執。会津勢はいつも独立独歩。

トイレ休憩中は、いろいろなところで議論が一気に進む。廊下やトイレ、あるいは議長席を中心に。

それぞれのグループが思惑を一致させたところで、最後はみんなで「空気を作って」多数決で決着する。

##敗者復活の酒の層
体育会の面白いところは、「酒」の力で議事がひっくり返るところだ。

論理で勝っても空気や水でひっくり返された主将は、競技後のレセプションではみんなから飲まされる。

主管校やベテラン勢はビールを持って挨拶に出向き、みんなで酒を飲んでその主将を潰す。
潰されたほうは負け…なのだが、そこは体育会の掟で、潰れたほうは「勝っている」。

逆のケースだってある。

>あるときの飲み会。ある大学の主将がみんなの前で挨拶をした後、いきなり脱ぎだして全裸で一気飲み。

パンツを下ろせる奴は最強だ。「こいつには誰も勝てない…」心の折れた各大学の主将は発言力を失い、
しばらくの間、議論の流れはその大学のものになった。

##体育会というコミュニケーションスキル
体育会の議論というのはとにかく勝者を作らない。理屈で勝っても、
結論が論理どおりになることなど
むしろ少ないし、誰かが勝つときはいつも一番理不尽な方法で議論が終わる。

曰く、先輩だからとか。経験が勝るとか。酒で恫喝されたとか。

体育会という言語は、だいたい全国共通だ。

様々な議論の層を移動するタイミング。理屈で正しいこと以外に、
いろいろなものさしで結論が左右されること。こうした価値観は、
たぶん日本中の体育会で共有されている。
体育をやっていなくても、たとえばオーケストラとか、茶道部なども同じような心を持っている。

体育会同士は、共有しているコミュニケーションスキーマが豊富だから、「以心伝心」が効く。
おたがい相手の気持ちがある程度読めるから、「空気が読める」。

##病棟で議論の層を移行するとき
たとえば心不全の患者が骨折で入院したとき、内科と整形外科、どちらが入院を取るかでよく揉める。