整形外科は、問題のメインは「骨」だとは分かっているのだが、心臓なんていう分からないものはできれば内科に任せたい。

両方の科の協議のとき最初はお互い「ですます」調で語り合う。論理の層で話をする。

「どうせ話したって埒があかないな…」という空気になったとき、整形の先生が「**俺らバカだからさ、
心臓分かんないんだわ**」と語調を変えることがある。

これは、**異なる議論レイヤへの移行**を促す言葉なのだが、
体育会経験者以外は理解できない。

これを読めない内科は、「分からないならよりていねいに」、と気をきかせようとするのだが、
事態は余計にややこしくなるだけ。議論はいつまでも
平行線をたどってしまう。

##体育会の作っていた「察する分化」
かつては、共有しているものの多さが「察する文化」を作った。病院も例外ではなく、以心伝心で
回している部分が結構あった。

体育会出身の奴、とくに主将の経験者は、相手の議論のアーキテクチャを理解しようとする。
たとえ文化を共有していない相手でも、お互いコミュニケーション自体には慣れているし、
何よりもコミュニケーションが大切だとお互い分かっているから、歩み寄るのは速い。

体育会のやりかたとは対照的なのが、「全てをオープンに」という技術系の人のコミュニケーションだ。

オープンの文化の中では、その発言力は発信できる情報の量と質とに比例する。