サービスをしてほしいという、サービス業本来の要素

評判のいい医者というのは、腕もいいしサービスもいい。

腕だけよくても、医者としては片手おちだ。たとえ病気を治すのが上手だったとしても、
外来に来る人だれもが「2度とかかるか」と思ってしまうなら、すぐにその人は相手にされなくなる。

一方、腕は悪くてもサービスのいい医者というのは、**万が一**の時が来るまでは名医でいられる。

もちろん、患者さんが急変したりすれば、こうした偽の名医はすぐに馬脚をあらわす。
まれな疾患を見逃したことが後からばれると、恥をかく。

ところが、患者の急変なんてめったにあることではないし、まれな疾患というのは本当に**まれ**だ。
起きないことにエネルギーを注いでもしょうがない。無愛想な隠れた名医など
存在しない。名医と呼ばれる人は、みなどこかの方面で愛想がいい。
それが患者さんなのか、同業者なのか、マスコミ限定なのかは人によるけれど。

医学の勉強を怠れば、患者さんの危険度は増す。本当は、誰もが「歩く総合病院」を
目指して勉強しないと、患者さんの安全というのは向上しない。

医者は勉強する。もっと勉強する業界もたくさんあるだろうけれど、医者だって毎日勉強する。
インターネット時代。主要な論文雑誌はほとんどが週刊誌だ。水曜日のCirculation、木曜日の
NEJMとLancet、毎月月末はJACCとかAnnals。読んだっていまさら自分の手の動きがそう大きく
変わるわけではないけれど、それでも読まないとおいていかれる。

勉強をすることで、たぶん少しづつは安全率が向上しているはずだけれど、
どこまでいってもゴールは見えない。

##安全の青天井ルール
一般的に、競争というのはルールがあって、その枠内でいかに優れた
バランスをとれるかが競われる。

プライドみたいな「何でもあり」の格闘技だって、武器無しで人間が戦うという
ルールがある。ミルコやヒョードルノゲイラといった格闘家はみんな出身が違うけれど、
その格闘スタイルというのは、今のルールに沿った同じようなスタイルに収束している。

自動車の競争もそうだ。F1みたいなフォーミュラカーはルールが厳しいけれど、
かつては CAN-AM という「4輪ならば何でもあり」というルールのレースが実際にあった。

それすらも、初期の試行錯誤の時期をのぞくと、速い車のデザインや規格というものが
自然に決まってしまい、1970年に入ってからはどれも同じような車ばかりになってしまった。

どんなに「何でもあり」のルールを考えても、競技である以上、例えば格闘技なら「武器無し」、
自動車レースなら「車輪で走る」という縛りがつく。

縛りの中で何かの性能を向上させようとすると、どうしても何か失うものが出てくる。
格闘家がウエイトを上げることでスタミナを失ってしまったり、車のパワーを上げることで、
今度はタイヤの消耗が激しくなってしまったり。

これを本当の青天井ルールにしてしまうと競技は成り立たない。格闘技が「武器あり」になってしまえば、
最後に行きつくのは銃や核兵器だ。自動車競走にジェット戦闘機を持ち込んだら、もはや
「自動車」競争にすらならない。

そんな中で、「安全性の向上」という競技にだけは、青天井ルールが成り立っている。

安全というものは、お金をかければかけただけ向上する。

ダブルチェック、トリプルチェックといった安全対策を行うと、それだけ煩雑さはますけれど、
それすらも人海戦術でカバー可能だ。お金に糸目を付けないならば、
安全性の向上は、いくらでも性能を追求できる。

安全性の追求には、本当はコストの上昇というトレードオフが存在するのだけれど、
医療という産業の特殊性が、コストについての問題を見えづらくしている。

##競合相手のいない医療界
>調子が悪ければ医者に行く。近くの開業の医師にかかるか、ちょっと離れた大病院にかかるか。
このとき、開業医と大病院との間には競合関係が生じる。

一見するとこれは競争なのだけれど、どちらに行ってもでてくるのは医師免許を持った同じ医者だ。
医者同士の競争意識というものは、たかが知れている。別に談合しているわけじゃないけれど、
同じ西洋医学の医者ならば、考えることは大体同じだ。

>自分が飢えない程度の利益を考えながら、
そこそこサービスが良くて、そこそこ安全な医療を提供する。

医師ごとのポリシーの差はあっても、しょせんは「そこそこ」の範囲の差でしかない。

救命的な要素とサービス業としての要素、この2つの医療の側面は、
総合格闘技でいうと「**人間が**」「**武器無しで**」戦うという2つのルールに似ている。
ルールというのは最低限2つ無いと、競技が成り立たない。

今の医療で、この2つのルールをもっと強力に展開しようと思ったら、
やはり医者とは別の競合者を設定する必要がある。

##価値の軸を増やすとニッチが生まれる
具体的には、医療技術は限られていても、コストが安くて会話の時間を長く取れる
職種を"準医師"として新たに認定する。

イギリスの「NP(ナーシングプラクティショナー)」、毛沢東時代の「裸足の医者」、
少しシステムは違うけれど、日本の接骨院やマッサージといった職種もそうかもしれない。

今の医療の選択肢というものは、「医者にかかる」という一つの選択肢しかない。

これはちょうど、薪を割るのと刺身を作るのに同じ鉈を使うようなもので、
実用的ではあっても効率が悪い。余裕があったら、普通は「切れ味のいい鉈」を探す前に、
包丁を買うだろう。

今の医療も同様だ。医者という1種類の職種以外に、サービスに特化した別の職種を導入して
選択可能にする。

問題はもちろんある。道具が増えると、正しい道具に出会える確率は減る。
2つの業種を導入すると、その界面に落ち込む患者の問題は必ず出てくるだろう。

それでも、ルールが増えると選択肢は多様になる。

サービスで勝負する準医師に対して、従来の医師が取れる選択肢は大きく2つ。