コーチ間の派閥のスキャンダルについてマスコミにリークして、スポンサーを持ちこめなかった不利を

挽回する

ルールブック上は「公平」な戦いであったとしても、こんなことをしないと「真のルール」の上では
公平な戦いにはならない気がする。それが選手が望むことなのかどうかは別問題だけれど。

##自分が意図する「勝ち」とは何か
いい医者になりたい。

これだって立派なゲームだ。

論文をたくさん書くこと。専門資格をとりまくること。
同級生から認められること。お客さんから感謝されること。

ルールブックには「いい医者になる」としか記載が無い。何が「いい」のかは自分で決めないといけない。

たぶん誰もが自分なりの「いい」基準を持っていて、一生そこに向かって努力をする。
手術の技量やいろいろな資格。専門医の認定試験。医師の生活の中には様々な競争があるし、
みんないろいろな競争を勝ち抜かなくてはならないのだけれど、そうしたローカルな競争の
勝ち負けというのは、勝利条件の設定のしかたによっては単なる通過点にしか過ぎなくなる。


今世の中がいろいろと変わってきていて、
医師法朝令暮改の気合で改正(それが改善なのか改悪なのかは、
サービスの受け手である患者さんが評価することで、医師が論じるべきではないと思う)されている。

医療周辺のルールブックの記載内容はコロコロ変わる。お上が変える。勝手に変える。

そのルールブックに素直に従った人達は、みんな損をする。高額な医療機器しかり。
療養型病棟しかり。
ルールを変えられるのは本当に腹が立つ。
あんなものに自分の一生が左右されるかと思うと、いやになる。

コロコロ変わるルールに最適化しようとすると、自分の中の「いい医者」像もコロコロ変わる。
従う以上、変わらざるを得ない。本当に下らない。

医師免許を持ってる奴が医者。さすがにここは変わらない。
変わらないものを足がかりにして、
なんとか自分の勝利目標という奴を設定できないものか。
そんなの単なる甘えなのか。そもそも病院で医者やる時点で
終わってるのか。

10年経っても、まだ分からない。