一人立ちを始めて、「やれる」と思っていたことが、実は全くイけていなかったことに

気がついて、泣きそうになりながら勉強を始める7年目。

勉強のモチベーションというのは、「あいつは使える」という周囲からの賞賛だった。

患者さんをよくしたいとか、医学の進歩のためとか、そういったお題目はどうでもよかった。
結果としてそうなることはあっても。

##専門家の抱えるジレンマ
「使える奴」という声を集めるためには、その状況へ最適化しなくてはならない。
ところが、同じ状況に最適化しすぎてしまうと、もはや「使える」などという声は聞かれなくなる。

最適化を極めた専門家というのは、もはや病院の部品や空気の一部だ。
「その人がいてありがたい」どころか、もはや「そこにあって当たり前」。
その人がいなくなると、困るを通り越して、病院というシステム全体にガタがくる。

専門性を極めるということは、一つの状況への最適化を極めるということだ。

専門家は、自分が守備する狭い領域のことで手一杯で、その他の問題には対処する時間が無い。
兵隊の位も上がる。医師の仕事以外の雑務も増える。手を出す時間、「腕を見せる」時間は
ますます減り、専門を極めて施設の環境の一部と化した専門家は、無能化する。