神様としては、ライオンを導入することで「かくあるべし」と決めたサバンナのイメージが出来上がり、満足

シマウマが自己規定したシマウマの姿と、
神様がイメージした「サバンナの中のシマウマ」の姿とは、ほとんど同じですが違いが一つだけ。

神様にとっての「あるべき」シマウマの姿というのは、毎日ライオンに食われなくては

いけない**という部分です。

##ルールというものの不確定性
シマウマと神様。お互いの理念の対立が生じたときに「ルール=ライオン」が生まれ、
シマウマにとっての「モラル=個体の理念」は崩壊します。

ルールというのは、誰にとっても確定不可能なものです。

神様は創造主です。サバンナを造り変えようと考え、自分のルールブックに「ライオン」と書くだけで、
サバンナにはライオンが現れます。

ところが、神様がライオンを創造した瞬間、創造という行為そのものが
創造物たるシマウマ、ライオン、それぞれに影響を与えてしまいます。

ルールは世界に現れますが、それをどう解釈し、どう運用するのかを決めるのはサバンナに生きる
被創造物(ライオンとシマウマ)の権利です。

最初の頃こそ、シマウマは神様の想定どおりの頻度でライオンに食われます。

ところが、ライオンの振る舞いが学習されると、シマウマもまた変化します。

政治力に長けた奴。走るのが速い奴。ときに、ライオンをも倒す牙を持つ奴。
新しい個体が生まれ、世界はまた別のバランスへと移行します。

ライオンはシマウマを捕まえられなくなると、サバンナの中で呆然と立ち尽くすしかありません。

神様はライオンを造り変え、その変化に応じてシマウマもまた自分の振る舞いを変化させます。

お互いの変化は多様化を生み、
多様化は神様の制御を外れてどこまでも続き、確定的なものが何もない世界。
これがルールの支配する世界だと思います。

##自己イメージに縛られた個体は淘汰される
一方で、変化を拒む個体もいます。「**シマウマとはかくあるべき**」。

太古の昔、自分達の種族だけで決めた誇り高いシマウマの自己イメージは強力で、
それを捨て去るのは邪道だと考えるシマウマ達。

神様にとっては、これほど

可愛い創造物**はいません。毎日サバンナに血しぶきを飛ばして、

労せずして神様にいい見世物を提供してくれるのですから…。

たしかに、神様が行った行為、ライオンをサバンナに放つという行為は不当で、理不尽です。

この世界でのシマウマの振舞いかたには2種類の選択肢があります。