10年以上年次が上の上級生に知り合いがいること

残念ながら、成績が良かったとか、友達が多いこととか、年の近い先輩後輩は役に立たない。

バンクロールとは、要は「**人間的に最悪に惨めな状況に追い込まれたとき、
自分を具体的に助けてくれる何か**」のことだ。

そんなときには、お金ですら無いよりあったほうが強い。逃げ帰れる実家があって、
それが「地理的にも」近い状況もまた、大きな強みになる。

自分の実力や、同級生の存在は、実効性のある力としては何の役にも立たない。

研修医時代は、みんなが自分の問題でもがいている。
溺れている者は、自分の力ではどうしようもないし、別の溺れている者を救うこともできない。

##背水の陣で臨む
先を読んで、行き先を決めたら、後はもう決断して突っ込むだけだ。**背水の陣をしいて**。

この「背水の陣」の意味を履き違えている人が多い。

「水を背負う陣形」は、攻めの陣形ではなく守りの陣形だ。

背水の陣と言うのは、川や海といった「水という絶対的な守り」を後ろに置く
(舟を使うのは想定外)ことで、
少ない兵を前面の守りに集中させるための方法だ。史実では、本体がこの陣形で
ひたすら守りつづける間に、別働隊が奇襲をかけて敵を打ち破る。

研修医が持てる力は乏しい。いつでも避難できる場所、戻れる場所を確保しておくのは大事だ。
後方の守りを忘れて前進に全力投球できるからこそ、
新しい挑戦もできるし、状況の変化にも余裕を持って対処が可能になる。

退路を断った、1点全賭けは自殺行為だ。

自分の場合、こんど外の病院に出るけれど、やはり「戻れる場所はある」と勘定している。

以前の研修施設。「来る者拒まず、去る者追わず」の病院だったから、多分まだ引き取ってくれる。
まだ黒字だし。

大学医局。不義理を重ねてしまったけれど、最悪の時に土下座して泣きつけば、
たぶん何とかしてくれるんじゃないか、
と思う…。甘いっすかね。

##最後はやっぱり「面白がる精神」
進路を選択して、キャリアを積んで。結局のところ、こうした行為は「自分」と言う売り物の価値を
上昇させるためのプロセスにしかすぎない。

問題なのはこの「価値」というものがたぶん誤解されているところで、たとえ世界一の腕前を誇る
医師がいたとしても、こいつが友達のいない引きこもりだったら、そもそもその「世界一」を
誰かが発見することもできないわけで。

自分の価値というのは自分の腕前と言う狭い意味以外に、自分の技量がどれだけの流動性、汎用性を
持っていて、またその腕前を生かすための人間関係、初対面の人に自分を売り込むのが上手いとか、
膨大な友達リストを抱えていて、日本中どこの病院にいっても部長級の医者に知り合いがいるとか、
その腕を実世界で運用する手段まで含めたものだ。

それでも、やはり売り物となる「腕」を身につけないことには、始まらないのもまた確か。

「腕」というのは、習うものではなく「かすめとる」ものだ。

学習の権利は、一応公平に与えられる。それでも、それは最低限の保証であって、
「最大値」は人によって異なってくる。

最初は誰でも単純な作業から。

それでも、それを「単なる作業」とばかりにいやいややるのか、
どんなにつまらない仕事でも面白がってチームに加わっていくのか。

>仕事の成果を上げるのに、すなわち、お金を生み出すパワーの源泉は、「知識」であるので、
仕事時間のほとんどが、じつは仕事をしているようで、実質的にはスキル獲得に費やされているのだけど、
知識というのは、個人に所属するものだということ。
>この、会社にとってはとても理不尽な構造を意識的に利用すれば、
会社に搾取されるどころか、会社を搾取することができる。
>[無実力のニートが年収500万円の正社員になる方法](http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060227/1141028008)より引用

何かの手技をするときは、必ずその準備がいる。

「手技」は直接「腕」につながるものだけれど、「準備」は単なる雑用かというと、決してそんなことは無い。

準備が出来ない奴は、そもそも手技なんか出来るわけがない。どの道具を使うのかすら分からないんだから。

将来、その分野で食べていこう、その分野を本当に面白がれるやつというのは、
やはり面白そうに仕事をするし、面白がるやつをみると、やはり教えるほうもまた面白い。

必要な知識と技量だけいただいたら、あとは「おいしい生活」を。などという考えかたが
クレバーだという論調を時々耳にするけれど、やはり面白がれない人というのは、
その科の知識を吸収するのは難しい。

こちらが選別して出し惜しみしてるんじゃなくて、たぶん目の前を通過する知識の重要さを
理解できないから、知識が「腕」として身についてこない。

>多くのバイトちゃんは、いつまでもバイトちゃんのままか、あるいは、
使えないバイトちゃんとみなされて、切り捨てられておわりである。
で、何人かに一人混じっている、正社員に登用されるバイトちゃんというのは、
どこが違うかというと、一言でいうと、ボランティア精神旺盛な、
お人好しな感じのバイトちゃんであることが多い。
>つまり、死にそうに忙しくて、へろへろになっているディレクター
やアシスタントディレクターに同情して、「みんな徹夜してまで
必死にがんばっているのに、ぼくだけ、さっさと先に帰っちゃうの、悪いな。
なんかもっと手伝ってあげられることないかな。」と、真剣に考えちゃうお人好し君だ。
>[無実力のニートが年収500万円の正社員になる方法](http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060227/1141028008)より引用

残念ながらこれは計算して「熱心なふり」をするだけでは無理で、やっぱりその業界のことを
本当に面白がれないと、なかなか「仲間」になって「腕」を身につけるのは難しい。

功利的な選択のしかたをあれこれ考察してきたけれど、やっぱり最後は「**それが面白いかどうか**」。

面白がる精神を原資にして、自らの生存確率を最大に維持しながらいろいろ試行錯誤して、
「心から面白い」と思える仕事を一刻も早く探す。

進路の選択というのは、つまるところそういうことなんじゃないかと思う。