似非科学で人を騙す人は、まず問題に対する結論を出してしまって、

それを証明するために研究をする。

全然違うようだけれど、出発点は同じ。何かの問題があって、それを解決するために
なにか原因を特定したいという思いはどちらも共通だ。この思いすらないものは、
似非科学でなくて詐欺という。

西洋医学は科学的な手法を用いるけれど、病棟で臨床をやっているときは、
似非科学的な手法をよく使う。

例えば不明熱の患者さんがいて、「原因は分からないけれど、
多分ステロイドくれれば効くだろうな…」という
ケースは実際よくある。

こんなとき、「分からないけど、とりあえず使ってみました」では、
西洋医者の解答としては問題がありすぎる。で、
MedLine を駆使して自分に味方してくれる論文を探す。

一応、論文は科学的な手法で導かれたものだけれど、
「まず結論ありき」で論文を収拾すると言う態度は、
似非科学者のそれとあんまり変わらない。

結論が先にあって研究するのか、それとも研究の結果としての結論なのか。

この順番は決して入れ替え不可能なものではない。

伝統的な科学者が主張するほどには、科学と似非科学の手法には違いはない。

科学者にとって、何よりも大切なのは、原因を突き止めることだ。

>ものごとには原因があって、それを解決すれば問題は解決する。

科学者を動かしているのはこういった考えかただけれど、
この「原因が知りたい」欲求というのは、**その問題のことを速く忘れたい**という
欲求の裏返しなんじゃないかと思う。

##「フネス化」する人々
人は忘れられる。だから考えられるし、前に進める。

インターネットは、この「忘れられる」という能力を壊してしまった。

何年経っても、検索さえすればいつのニュースでも参照可能。
Web の管理者が削除した情報ですら、
ネットを探せば必ずどこかに痕跡は残る。

情報は忘れられることなく、ネットにつながった人は無限に近い記憶の容量を持つ。

ネットで文章を書いていると、1年もすれば自分のオリジナルな体験など底をつく。
何か新しいことを書こうとしても、ネットのどこかで誰かが同じことを書いている。

完璧な記憶は、書き手の思考を縛る。全ての人はフネスになる。忘れることを忘れた人は、
思考することができなくなってしまう。

>真実を知りたいんです。

最近の医療訴訟の原告の人達は、記者会見などでは決まってこう言う。

「真実」なんて簡単だ。全日本レベルの優れた医師が、ただ一人の患者に全力を投入できるような
環境であれば、大抵の医療過誤なんて無くなる。

現実問題としてそんなことは不可能で、
アクセス性とコストの問題を妥協するから、結果としてリスクが生じて犠牲者が出る。
それだけのこと。システムの問題だ。

医療者側の考える「真実」と、原告側の人たちが求めている真実とはしばしば乖離する。

原告の人たちが求める真実は、**焼き捨てる**ことが可能でなければならない。