**家族を抱きこむ**。奥さんや実家の家族には、ICUスタッフのその日の担当者、

上の先生の顔を覚えてもらって、毎日挨拶してもらった。

集中治療室での管理をしてもらえる期間は、通常長くて2週間。

毎朝の各科集まってのミーティング。「**次に出されるのは誰だ**?」というのは、
みんなの共通の関心事。

入室の長い科に対するプレッシャーは日ごとに高まり、圧力に負けた科はICUから病棟に戻る。
医学的には、みんな十分すぎるぐらいに重症の人ばかり。それはお互い分かってる。
理屈だけでは、議論の決着はつかない。

入室10日目。

「今度出るのは内科だろう…」というのが、各科共通の空気だった。

それはこっちも読めたから、その日のミーティングには気合を入れた。

いつもの出席人数は、自分と下級生の2人。その日は、助教授以下、医局員14人。

話す話題は、いつもと同じ深夜帯から日勤帯への申し送り。申し送りの最後。
やっぱり退室勧告があった。

>ICU:「○○さんは入室も長いですし、そろそろ…」

>内科:「要は**出ていけ**。と?」

相対する白衣と白衣。こうなったら、人数の多いほうが勝ちだ。

内科は残留。代わりに出ていったのは、小児科の子供さん。

ミーティング後、病棟の廊下で、小児科の主治医(女医さんだった)から抗議を受けた。

>**内科の先生方は、やりかたが汚くないですか?**

その時の自分にできる、最高の微笑みを返してあげた。

そう。

内科はたしかに汚いよ。

でもね。

あんたの科のガキが「5番ベッドの新生児」と呼ばれている間。。。

うちの患者の呼ばれかたは「**○○さん**」だったんだ。

みんなプロだ。強弁と恫喝なんかで、入退院の原則が覆るわけがない。

強弁は単なるきっかけ。こうなることは、最初から分かってた。
大事なのは、ミーティング当日の朝の時点で
「そうなる空気」が準備できていたこと。

空気の力だ。
##みんな空気に作られた
まだまだ駆け出しだったころ。

何か「間違った」ことをやっては、上級生から怒られる毎日。

怒られてるから、何か間違えていることは分かる。
怒られる理由は説明してくれる。

でも、なんでそのことで怒られるのか、
卒業したばかりの研修医には、理解の埒外のことだらけ。

客商売の大切さ、ましてや間違えたら人が死んじゃう危機感なんて、卒業したての
若手には、まだまだ共有できない。

最初の頃のモチベーションは、「上級生に怒られたくない」、その一点だった。

人が成長するためには、試行錯誤が不可欠だ。

自分でやってみて、間違えれば間違った結果が出るし、正しければ何かを得られる。
行為の結果というのは、最良の教師になりうる。

ところが自分達の業界ではこれができない。

間違った行為の結果というのは、そのまま医療事故だ。最悪人が亡くなる。

それは困るから、上級生はとにかく怒る。

怒られるほうからすると、その理由はどうしても理不尽に聞こえることがある。
「間違ったことをやったらどうなるか」を、実際に見た人がほとんどいないから。

「そこはそういうもんなんだ」。

成長するということの最初の一歩は、この「空気」を共有することからはじまった。

##理由は後からついてくる
ドアを静かに閉められない人が増えているそうだ。

バタバタ音を出せば、みんなが迷惑する。ちょっと考えれば分かりそうなものだけれど、
「みんなの迷惑」というものが想像できない人には、この必然性が分からないらしい。

ドアを静かに閉める習慣のある人は、その「必然性」とやらを理解してやっているのだろうか?

子供の頃、ドアをバタンとやったら、父親から死ぬほど怒られた。それだけのことなんじゃないのか。

「必然」なんか後からついてくる。

自分が無自覚にやっている行動が、気がついたらみんなにとって快適な、行為になっていた。

こうした動作の習慣というものは、たぶん理不尽な教育手法で叩きこまれたもので、
理論だてて教えられた人は少ないんじゃないかと思う。理由なんか、後から適当につければ十分だ。

「みんなの意見」なんか、本当は存在しない。

そうした幽霊みたいなものを信じさせているもの、ないものに対して気を使うモチベーションの
元になっているものこそが「空気」というものだ。

空気は形があやふやで、非常に厄介なものだけれど、やりかたさえ正しければ、
それはある程度までは操作でき、多くの人の力を借りる役に立つ。

自分が仕事を続けていく上では欠かせないもののひとつだ。