「お前○○だろ、違うなら証明してみろ」(○○の中には未熟とか、経験不足とか、サヨクとか)という**悪魔の証明**

単純な方法だけれど、相当有効。なぜなら、みんな本当は思考なんてしたくないから。

思考を続けることは重要だろうか?

「考え」なんていう面倒な作業は、きっと誰かが行ってくれる。
宗教を信じる人はみんな天国へ行ける。神様が考えてくれるから。

信仰というのは、信じることだ。理解することじゃない。

##思考停止という癒し
「テロとの闘い」という言葉。どんな問題にもこの言葉が使われて、いろいろな問題が
正当化されて数年。最初はみんなで議論したけれど、結論はなんにも変わらなかった。

結局テロリストはいなかったけれど、やってることはそれでも同じ。考えないほうが、ラクだから。

テロの定義という「いれもの」の中には何でも入る。自衛隊派遣だろうが、増税だろうが、僻地医療の崩壊だろうが。

>テロとの戦い自己実現。「○○のせい」。

定義があいまいで、なんとなく反抗しにくいようなこうした言葉というのは、
お互いのフレームを合わせる作業を無くし、結論を提供し、思考という作業から解き放ってくれる。

思考を止めた人というのは、知能を持たない機械と同じ。

機械は知能がないから、そもそもフレーム問題をおこさない。そもそもの問題がないから、
それを解決するためのプロセスも必要ない。矛盾のない、完全な存在だ。

人はなかなかそうはいかない。「思考をしない人は不完全だ」という思いに縛られているから、
みんな何とかして思考するふりをしようとするし、だから疲れてストレスがたまる。

##みんな医者のせいだ
このあいだの医者叩きのスペシャル番組。

有名なN淵先生をはじめとする医師側のパネリストは、基本的にはみんな正しいことをいっておられたように思う。

「悪い医者」の再現ドラマはひどいものだったけれど、それでも台詞に「ウソ」はなかった。