中の悪い科の協力をどうやってとりつけるのか
「正しく」やってたんじゃ話にならないし、システム全体を変えるだけの
時間的な猶予も無い。だから「正しくない」方法を探す。基本的には
偏差値高めの人が多いから、問題があれば、それを回避する手段は必ず見つかる。
醜いシステムをバッドノウハウで効率よく運営するためには、
システムが変わらない**ことが大前提。システムが変えられてしまうと、
今まで作ったノウハウが全部無駄になるから。
##世界を美しくする動機
組織やシステムを何とかしたいとおもって、いろいろな本を読んでいる。
本は汚しながら読む。蛍光色鉛筆を使って、線を引いたり書き込んだり。
面白いページは端を折っていくので、何度も読んだ本ほど無残な姿になる。
線を引く部分というのは、自分が思いもよらなかった視点とか、
「想定外」だったことが書いてあって、なおかつその意見に同意できる文章だ。
いつもボロボロになる本は、プログラマーやSEの人達の書いているものばかり。
現場で実際働いている人のものがいい。同じ技術系でも、ワインバーグとか、デマルコとか、
プロのコンサルタントの本になると、なぜかあまり線を引きたくならない。
現場の人の本というのは、半分近くがプログラムの話だから、
そっちは何の参考にもならなくて、コストパフォーマンスがとても悪い。
それでも、抱えている問題に対する意識とか、その解決に至るまでの
思考過程がとても新鮮で、いつも線を引きながら読んでしまう。
彼らの視点がなんで新鮮に思えるのか。たぶん、「**世界を変える**」という発想が、
自分の中には全く欠けているからなんだと思う。
プログラマーの人達は、自分達でプログラムを組む。
あまつさえ、そのプログラムを作るための言語も自作したりする。
作るものは抽象性の高い、美しいものなのに、実際の現場は泥臭い人間仕事だから、
「どうやって現場を美しく合理的に改変するか」の発想がたくさん出てくる。
医者の仕事というのは、「**エラーの出た人体**」というシステムにパッチを当てて、
何とか動くようにもっていく仕事だ。
なんとか治った人であっても、
今度は家族が誰も引き取らなかったり、退院後の生活の面倒までみてくれないと
退院しないとごねられたり。
人体だろうが、家族や社会というシステムだろうが、基本的には改変不可能。
だから、「変えよう」なんて発想は、なかなかでて来ない。
違った業界の人の意見は面白い。
##自分にとっての理想の世界
自分にとって一番望ましい社会とは、昔の小さな村社会だ。
入院している20人とその日の外来30人ぐらい、病棟のスタッフ全部いれて、合計100人程度。
大昔の小さな村社会。矛盾だらけの因習に満ちていて、掟とか祟りとか、見えないけれど気を使う
風習がまかり通って、それに抗うと村八分を受けたり、陰湿ないじめを受けたりして、
みんながお互い疑心暗鬼になっている。そんな社会。
偉い人達に今一番やってほしいのは、時計の針を巻き戻すこと。
大体7年ぐらい前。
まだまだ大学病院が元気があって、
その一方で、民間の病院組織もそろそろと力をつけてきた頃に。
医療のシステムの欠陥はたくさんあったし、世間はもう十分に醜くなっていたけれど、
それでも今よりうまくいっていた。
何の合理性も無かった代わりに、それを強引にうまくやるノウハウだけは山のようにあったから。
##システムを作りなおす不合理
いろいろなものが電子化した現在。
IT関係の人達の発想というものは斬新で、
何もかもが合理化の方向に向かっている。
医療のシステムは、度重なる改革で、グダグダになった。
医療は1回崩壊すべきとか、市場経済の原理を導入すべしとか。
医療者側からも、そんな声がけっこう聞こえる。
いいかげんなシステムというのは、本当に悪いものなのだろうか?
官僚主義的な、欠陥だらけのシステムをバッドノウハウで固めて、
それを現場で強引に動かすことこそは、医者の得意分野だ。
保険システムの不合理さをみんなで馬鹿にしながらも、
強引に動かしつづけてここまでやってきた。
十分に機能している醜いシステムというものは、それが今まで続いているというだけで、
悪いなり、醜いなりの価値というものを十分に持っている。
それを壊して、最初から作りなおそうという最近の「改革」は、
現在のところことごとく裏目にてでいる。
何もかもがうまくいきそうも無いように見える昨今。
考えうる全ての選択肢が絶望しか生まない場合、
最悪に見える選択が、最善手ともなりうる。
「**とりあえず前に戻して、何もかも全て先送りして放り投げる**」。
思考を停止した上での先送りというのは最低のプランの一つだけれど、
今の医療現場に対して国がとれる、最善手の一つなんじゃないかと思う。