相談するんじゃなかった

会話の結果にはいくつかの結末があって、正しいことを言っても分かってもらえないことも多いし、
意味の無い会話だけで十分満足できるときもある。

会話の質には、情報と情緒の2つの要素がある。

##基本は記憶の木
人の記憶というのは、木のような形をしている。

人の感覚に入ってくる情報の量は莫大で、意識はそのうちのほんの一部しか処理できない。

人の意識が同時に覚えられる要素は、大体7つ。
心理学の本などで、「マジカルナンバー7」などと呼ばれている。

1. 多すぎる情報は処理できないから、似たような細かい情報が7つばかりたまると、意識はそれを
抽象化して、一つの塊としてあつかう
2. そうした情報の塊がまた7つ集まると、また抽象化が行われる
3. 抽象化の段階を繰り返して、木の「幹」にまで太くなった情報が、意識にのぼる
4. 必要な情報を思い出すとき、意識は幹から木の枝をたどって、元の情報を思い出す

進化論にでてくる系統樹と、考えかたは同じ。

##情報の「正しさ」を決めるもの
会話の情報要素の質を決めるのは、解答の正確さと、細かさだ。

情報というのは、何か抱えている問題があって、
その答えが自分の過去の経験の中に存在していないときに欲しくなる。

「記憶の木」を探っても、そこに必要とする情報が無かったとき、
人に生じるのが「接ぎ木」の欲求だ。情報の葉っぱだけをもらってもしょうがない。
葉っぱのついた枝として、自分の木の一部にしないと、情報は役にたたない。

ちょうどいい枝を探すのは難しい。欲しい葉っぱがついているのだけでは足りなくて、
「接ぎ木をするのにちょうどいい大きさ」でないと、自分の記憶の木を豊かにはできない。

接ぎ木したい情報が「細い枝」の大きさであったときに、
「**その枝を含んだ丸太一本**」をよこされてもあつかいに困る。

情報は、正しいだけでは片手落ち。ちょうどいい大きさ、あるいは細かさのものである必要がある。

##会話の満足感を決める情緒要素
会話の質を決めるパラメーターには、情報要素と情緒要素の2つがあって、
どちらが欠けてもコミュニケーションは不満足なものになる。

>mixi コミュニケーションを加速するために、情報共有を減速してるんじゃないだろうか。
>だれかの既出の質問にだれかが答えて、答えた人の印象が良くなるという流れは、
三者にとって得る物はほとんど無いけど、二者間にとっては意味がある。(中略)
>そういうやり取りを支援するためと考えると、あのしょぼい検索が正解に思えてきた。
>みんながみんな FAQ や過去ログや Google で問題を解決しちゃったら、
>質問されるのは難しい質問ばっかりになっちゃって、答えて印象を稼ぐのは難しくなる。
>(検索のやりにくいmixiは)「ありがとうございますぅー」っていうために、なんとか手の届く高さにある書類を、あえて先輩に取らせる新人の女の子みたいなものなんじゃないか。
>先輩と後輩のコミュニケーションのために書類をちょっと高いところに置くようなシステム。
>[blog.8-p.info: Accelerate communication](http://blog.8-p.info/articles/2006/05/12/accelerate-communication)より改変引用

外来での会話もそうだ。こちらが情報を提供ようと思っているときでも、
相手は情緒を求めているときがあって、そういうときにはいくら一生懸命しゃべっても、
満足感は上がらない。

情緒を求めるというのは、過去の記憶をなぞる行為だ。

情報は正しさで評価されるけれど、情緒要素の評価というのは、
お互いがバックグラウンドに共有している経験や反応のしかたそのものだ。

何らかの「お約束」が出題されて、それが履行できるかどうか、
想定した反応を、相手がしてくれるかどうかといったことが評価の対象になる。