「医師の看板しょってこんなもの書くな」

同じ批判的意見でも、ここからは何も得られません。

weblog 時代の良さというのは、通信が双方向であることです。誰かが書いた文章には、
誰でもコメントをつけられたり、もっと過激なところでは自由に文章を編集できたりします。

忙しい仕事の中、何か思いついたこと、疑問に思ったことを
発信して、それに対してコメントをいただけたり、あるいは
解答をいだけたなら、発信者としてそれに勝る報酬はありません。

ところが、勉強しろ、辞書引け、というコメントは困ってしまいます。

勉強する暇がないから、あるいは辞書を引く余裕がないからこういう中途半端な
文章を発信して、「**この言葉の定義、こうしたほうがいいんじゃね?**」とか、
「**この文章、俺が以前書いたこっちの方が圧倒的に面白いよ**」とか、そういう意見を
待っているのが本意です。

「勉強する」というのは、大変です。

単に教科書を引けば納得できるなら、それは学習などではなく、単なる調べものです。
調べて、その領域のことを「調べた頭」で
実際に体験して、はじめて学習は完成します。ほとんどの人には、そんな時間ありません。
だから専門家が存在するのです。

中途半端な知識で適当なことを書いているのは、百も承知の上です。

だからこそ、「もっと勉強しろ」ではなく、「解答」、あるいは「対案」を
提示していただきたいのです。

##「医師という看板」のもとに文章を書くことについて
「医師の看板」を決めているのは誰でしょうか?

私は、世間には様々な医師の意見があって、その平均値が「医師像」というものを
決めるのではないかと考えます。

Web 時代には、特定の誰かの意見を読んで、それだけで自分の見たもの全てにバイアスをかける
人なんかいません。そう信じています。

意見には、多様性が必要です。

文章を書くときに気をつけているのは、以下の2点です。