参加者が、それぞれどの集団に所属するのかをはっきり意思表示すること

どの業界にも、こうした対立の構図というものはつきもので、誰がどの流派に属しているのかもまた
明示的に示される。

何かを得ようとする人は、どのグループに参加するのかを
選択して、自らも戦いに参加する。

みんなが戦いの一員となって考えるから、責任は分担されるし、みんな一緒になって考える。
みんな「中の人」だから、戦いの方法論についてもまた一緒。「2つの武士道」の衝突はおこらない。

西洋医学にも、こうした対立する集団というものが存在する。

たとえば麻酔。ごく大雑把に「関西流」の麻酔の方法論と、
「関東流」の麻酔の方法論というのがあって、麻酔の導入方法や、管理のしかたが微妙に異なる。

心カテや、外科手術といったものにも、こうした伝統的な流派の違いというのはけっこう残っていて、
同じ技術を用いる手技であっても、それを現場にどう応用していくのか、
その運営方針については各流派で微妙に違う。

医療の現場にも、まだまだこうした流派の違いというものが残っている一方、
それが公に語られることというのは、案外少ない。

病気の治療方針を説明する際、治療の選択肢を示す以外に、自分がどういった
思想の流れをくんでいる
医者で、自分のと異なる流派の医師はどこにいて…というお話を一緒にすると、
あるいは患者さんに「戦いに参加した」感覚が生まれるかもしれない。

独占業界ならではの特権を失うのは絶対にいやだけれど、
バーチャルな戦争の世界に遊び、その成果物を持って実社会を左右する技術者という人達の
やりかたというのは、自分達の立ち位置よりもより前に進んでいるように見える。

戦争に参加して、なお自分達の戦争を笑い飛ばせる健全さを残して病気と向き合ってもらうには、
「**その意思の所属する流派を明らかにすること**」というのは、結構有効なのではないかと思う。