人が最後に帰る場所

##日常が失われる恐怖
その人にとっての故郷というのは、たぶん介護士さんの顔と声だった。

老人病棟の患者さんは、毎日叫ぶ。ひたすら怖がって、
何やっても叫ぶ。

その人は、前の施設ではおとなしかったらしい。
会話は全くできないけれど。

誤嚥性肺炎を発症して紹介入院。抗生剤で簡単に軽快。

例によって老健はどこも満床で、一度退所したらそう簡単には入れない。

これもまたお約束で、家族の方は在宅での介護を拒否。
行き場がないから、当院にて長期入院。

元気になったらもう叫ぶ叫ぶ。

食事をしようがマッサージをしようが、手足を振り回して全部拒否。

ご家族の「**できるだけのことを**」の言葉は、ときに本人に地獄を見せる。

本人にとっては、病院という場所は全くの異世界

日常見慣れた施設から離されて、見たこともない場所に連れてこられて。
知らない連中が自分を縛り上げて、毎日点滴。叫びたくもなる。

家族の顔も分からなくなったその人に、「**日常**」が帰ってきたのは、
元の施設の介護士の人が見舞いに来たときのこと。

今まで声を限りに叫んでいたのが、その人が来て声をかけたら元に戻った。
その人の手からなら食事もとれるようになり、結局しばらく病院に来てもらって、
元気になって元の施設へ戻ることができた。

認知症というのは、「日常」の範囲がだんだんと狭くなる状態だ。

パズルのピースが落ちるように、今まで「日常」であった生活体験がだんだんと欠落してしまう。

普段見慣れている風景は覚えているのに、めったに見ないもの、たとえば久しぶりに会う
家族の顔とか、家からほんの少し離れた裏通りの風景といったものは忘れてしまう。

「ここは自分が忘れていた風景だ」と認識できればいいのだけれど、認知症の人は、
「忘れていること」に気がつけない。

認知症の人は、日常から外れたものは、「異物」「異世界」として認識する。
だから怖がって、暴れて叫ぶ。

##徘徊老人は故郷へ帰る
徘徊老人が時々、電車に乗ってとんでもないところまで行ってしまったりするけれど、
あれは「**故郷**」に行こうとしているのだそうだ。

日常が狭くなっている人にとっては、道を一本外れただけで、もうそこは異世界

異世界に迷った人がまずやろうとするのは、自分が一番安心できる場所に帰ること。

高齢の人にとっては、現在暮らしている狭苦しい日常よりも、
子供の頃に暮らした故郷のほうが、より安心できる場所に思えるらしい。

失われた場所を探して、徘徊老人は電車に乗る。

でも、帰れる故郷が実際にある人なんてほとんどいないから、
故郷を探しにいった老人は保護されて、もとの不安な日常へと戻っていく。

##世代の変化と街の変化
この6年ぐらい、1時間かけて同じ道を通っている。

県庁所在地のそこそこ大きな市街から、勤務先の田舎の病院へ。

勤務をはじめた頃は、途中の道は原野だった。

街を出て、原野を3kmぐらい走ると小さな街があって、また原野へ。
それを4回ぐらい繰り返すと少しだけ大きな街に出て、そこに勤務先の病院がある。

途中の街には商店や学校や神社があって、そこだけは子供がいるので、道が渋滞する。
何もないところは信号もないから、アクセル踏み放題。

様子が変わってきたのが3年ぐらい前。

原野だったところにショッピングモールやホームセンターができて、
さらに数ヶ月して、同じような形の一軒家が並びはじめて、原野に街ができた。

若い町には若い人が住み、原野の一本道に集団登校の子供が歩くようになったのが昨年頃。

もともとあった古い町の商店はシャッターを閉め、古い町は老人ばかりが
目立つようになり、子供の姿が消えた。

今では、渋滞する場所は前とは逆。

ショッピングモールを中心とした「若い街」ではアクセルを踏めず、
神社や学校、閉じた商店が並ぶ、人の歩かない古い街並みで遅れを取り戻す。

##ネットワーク化する町
昔は、町に住むことというのは、「何かの中心の近くに集まること」だった。

中心にあるのは、役場とか学校、神社といったインフラ。
その周りに商店ができて、住宅がそれを取り巻いた。

時代は進んだ。誰もが車を持つようになり、若い人の移動範囲は格段に増え、
町は中心という概念を失い、「中心に住むこと」には意味がなくなった。

住む場所の価値も変わった。

大事なのは、買い物に便利なこと、
道路に面していることといった、
ネットワークへのアクセスの良さ。

町の中心街などは、もはや土地が高くて道が混むだけの場所になってしまい、
若い人はほとんどいなくなった。

ネットワーク化した都市においては、有利なことは中心に近いことではなくて、
移動力が大きいことだ。

歩くことしかできない小学生が自転車に乗ることを覚えて、そのうち自動車へ。

人間の移動力は、年齢とともに上昇して、40台から60台でピークになる。
その後は、年来が上がるにつれて移動力は下がっていく。

移動力が一定以下に下がると、人は都市のネットワーク機能を利用できなくなる。

移動力の落ちた人にとっては、「中心にいること」の価値はまだまだ高い。
歩けさえすれば生活できるから。

結果、神社や学校といった、昔ながらのインフラを中心とした「古い町」には高齢者が住み、
ショッピングモールを中心とした「新しい町」には若い人と子供が住む。

新しい町と古い町とをつないでいるのは、小学生を中心とした子供。
学校だけは移転するわけにはいかず、相変わらず古い町の中心にしか存在しないから。

##ネットワーク化と故郷の消失
何かの中心に寄り集まることから、ネットワークに参加することへ。

「町に住むこと」の意味は、この数年間で大きく変わった。

「故郷」という古い風景の見えかたも、また変わる。

みんなの移動力が上がると、地域社会というものは不必要になる。

みんなが移動できない昔は、「近くにいる人」というのは、それだけで特別な人だった。

誰もが自由に移動できて、みんなが自分のネットワークを利用できるようになると、
「近くにいること」の価値はどんどん小さくなった。

もはや、隣の人に何かを頼む機会なんて皆無。**mixi** の知り合いに何かを聞く機会のほうが
多い人だっているかもしれない。

人のコミュニケーションの範囲が広くなると、
同じ目的を持って集まれる人の数は増えていく。
それに反比例して、「地域社会」の必要性は小さくなっていく。

近所の誰もが知りあいで、みんなで遊んだ「故郷」なんて、もう過去の話。
ネットワーク化した町の子供が思い描く「故郷」の風景というのは、自分が想像する
それとは、もはや何の共通点もない。

##故郷喪失者の帰る場所
寂しさの中で亡くなった革命家の話をしようと思う。

50年代、本当に革命を目指していた日共細胞の
英雄譚は本当に面白く、
よく外来そっちのけで聞かせてもらったものだ。

高齢でも元気だったその方も、そのうち入退院を繰り返すようになり、
だんだんと「日常」の範囲が狭くなっていき、病院の風景が異界になってしまう頃、
別人のようになって亡くなってしまった。

最後の1年間、その人の叫びはいつも「**寂しい**」だった。

日共の人達というのは、「革命」という同じ目的の元に集まった集団で、
出自はみんなバラバラ。昔ながらの地域社会なんかは真っ先に否定していたから、
この方達の心のよりどころになっていたのは、たぶん革命家同士のネットワーク。

年月が過ぎて、日共も自己批判を繰り返すようになって、当時の精神もまた失われ、
革命家を支えたネットワークもまた失われた。

故郷のの消失は恐怖を生みだし、
自分の帰属していたネットワークの消失は寂しさを生みだす。

どちらにしても、帰る場所の消失は、人生の最後を責めさいなむ。

失われた故郷、あるいは帰るべき日常を常に提供し続けることができるなら、
こうした人達の生活を少しでも安楽にすることができるだろうか?

##成長するネットワークは永遠の「帰れる場所」を提供するのか
インターネットという環境は、変化しながら成長するネットワークという、
全く新しい存在を作り出した。

従来型の、特定の場所に集まる地域コミュニティ、
あるいは特定の目的のもとに集まるネットワークコミュニティというものには、
寿命というものから逃れることはできなかった。