性悪説をとるルールは、結果を達成することよりも、ルールを守らせることのほうに重点をおく。

プレーヤーの行動は同じようだけれど、その結果が多様化する

医者の仕事というのは、「**よくする**」という一つのゴールに至るまでの道のりを追求する仕事だ。

今までの出来高払い制度というのは性善説で、合理的にやろうが悪どく儲けようが、
結果さえうまくいけば、後は医者の「さじ加減」を信じてた。

厚生省のスタンスは、「医者は基本的にいい連中で、その中にたまに悪い奴らが混じっている」というもの。

センスのない奴には、まわりから笑われたり、
保険点数を大幅に削られたりといった制裁が加わったけれど、
まじめな人と悪い奴、どちらもそれなりに仕事が出来た。

今度のルールは逆。

「医者は基本的に悪者ばかりで、たまにまぎれているまじめな
医者を救済してやろう」というのが新ルールの考えかた。

医者にできることは、悪い奴もそうでない人もみんな同じ。

違うのは、悪い奴がやると患者さんが重症化して、
正義の医者がやると、患者さんが軽症化すること。

そして、「軽症化した患者さんには、国はお金を出す意志は全くない」ということが、
「ルールブック」に明記されていることだ。

##やる気を奪う性悪説ルール
罰則とか、「べからず集」とか、国の検査機関からの監督といったルールは、
いずれも「悪人である医者を、正義の厚生官僚が監督する」という思想の産物だ。

「**国はあなたがたを信用してないよ**」というメッセージは、
まじめな人達をへこませ、もともと国への忠誠度の低い人達だけを元気にする。

「あれとこれはやってはいけない。そのかわり、違反しなければ何をしてもいい」という戒律的な
ルールは、多様な結果を生む。

こうしたルールは、リーダーの顔が常に見えるぐらいの規模の小さな組織で、
いろいろな可能性を追求しなくてはならない時にはとても有効だけれど、
大きな組織でこれをやると、無政府状態になってしまう。

大きな組織を統治するには、理念が必要になる。

「紳士たれ」とか、「よき医師たれ」とか。何をもって「**よい**」のかについては、
リーダーがメンバーを信じるしかないから、そこに信頼関係が生まれる。

信頼関係は忠誠を生む。まじめな奴ほどマジになる。
ずるしてサボる奴は一定割合で出るかもしれないけれど、組織はまとまる。

##正解は「性善説+祟り」ルール?
厚生省の中の人は、たぶん正義の味方になりたいんだろう。

「悪の医者を取り締まる正義の官僚」というロールモデルを演じるのは
きっと気分がいいのだろうけれど、これは
悪役にされた人のやる気を奪ってしまう。

官僚の人たちが想定すべき自己イメージというのは、
「**医者という馬に鞭を入れる御者**としての官僚」だ。

「悪い医者」にとって、もっともやられて嫌なのは、
今までどおりの出来高払いルールを維持した上で、明文化した罰則を一切作らないこと。

役人様は馬車の上からみんなお見通しで、
ズルした馬は予告なく鞭で叩かれるという「祟り」が
蔓延した社会では、「ルールの裏をかく」ことは非常に難しくなる。

だって、ルールは役人様の頭の中にしかないんだから。

「神様」が統治する「祟り」の支配する社会というのは、
なんだか北○鮮みたいだけれど、ライブドアとか村上ファンドとかいった会社が
潰される今の社会を「正義だ」と評価する人が多いというのは、
たぶんそういう社会を志向する人が結構多いということなんだろう。

医師はプライド高いから、官僚に「馬」扱いされれば当然怒るだろうけれど、
思考を放棄して「馬」になって鞭打たれたい人、潜在的には多いんじゃないだろうか?