成長とともに立場から自由になれる人
何かあったとき、自分の立場を捨てられるか、それに縛られるか。
つまらないことなんだけれど、こんなことが患者さんの予後を左右する。
##「あるべき自分」を捨てられますか?
「洗練」という行為は、無駄な部分を削ぎ落とす行為のことだから、
何かあったときの安全マージンはどうしても少なくなる。
初心者のやりかたというのは不細工だ。
いろんなことを考えて、あれこれ寄り道しながら進んでいくから、
どうしても人手がかかるし、手間がかかる。
初心者は予測ができない。
予測可能な急変だろうが、本当の不測の事態だろうが、初心者にとっては同じ。
初心者の背負っている「初心者」の看板というのは簡単に外せるから、
いつでも誰かに応援を求められるし、どんなに汚い治療だって「あり」。
ベテランは、しばしば不自由だ。
ベテランは何をすればいいのかを予測しているから、予想の範囲で何がおきようが、
エレガントに対処できる。
ところが、ベテランが予測していなかった自体がおきたとき、
ベテランの医師は「ベテランである自分」という立場を捨てなくては次の一歩が踏み出せない。
ベテランが「立場」を捨てる姿というのは、下から見るとかっこ悪い。
その行為は本当は凄くかっこいいことなんだけれど、初心者にはそれが分からないし、
ベテランもまたそれを忘れてしまうことがある。
##「自由なベテラン」の持っているもの
急変時に自由に振舞えるベテランと、立場に縛られて何もできなくなってしまうベテランとを
分けているのは、「最終的な解決手段」を想像できるかどうかだと思う。