兵隊を安心させる「物語」を作り出せること

##陣を張る
陣地を作る能力というのは、その場にある材料を使って、感染症と戦うための
「説得力のある場所」を作り出す力のこと。

たとえば、カーテン1枚を張るだけで、感染確率をどれだけ減らせるのかとか、
患者さんのベッドの周囲にブロックラインを引いて、「このラインから外で動けば、
感染の確率はほとんど無い」と、説得力を持ってみんなに宣言できるとか、そういう能力。

カーテンを引くだけ、床にガムテープで線を引くだけなら、誰だって出来る。
大事なのは、その行為にどれだけの説得力を持たせられるか。

軍隊は、そういった資質の無さを、ユニットごと移動するという方式で回避している。

米国陸軍感染症研究所(USAMRIID)が感染症対策に乗り出すときなんかは、
隔離室から検査室、兵隊の宿舎に至るまで、必要なものは全部ユニット化して持っていく
から、「やりくり」が必要ないようにできている。

「その場にある物をやりくりする」能力を身につけるには、
たぶん実地で経験を積むしかないから、難しい。

一度成功した陣さえ張れれば、みな安心する。

「**この人の作った環境ならば、安心して仕事ができる**」とみんなが思えれば、
士気は高まるし、なによりも安全に仕事ができるようになる。

##兵站の問題
物量の確保は大事だ。

予防衣は何着ぐらいあればいいのか。
マスクはどのくらい発注しておけばいいのか。感染症対策も、忙しくなればなるほど
物量は不足して来るし、それを読めない人が上に立つと、現場が荒れる。

とにかく嫌なのが、ガイドラインを作っている偉い人達に、
そうした兵站で苦労した経験がないことがあからさまなこと。

結核の人を診ているときに困ったのがこれで、経験が無いから、
発注量をどれぐらい見込めばいいのか分からない。

>その病気は大体どのぐらい続くから、ベッド1床あたりこの程度の備品を用意すれば、
たぶん今シーズンは乗り切れます。

兵站を読む能力というのは、ある程度の未来の予測ができるということだ。

同じ悪い状況であっても、先が見えると、それに耐える力は圧倒的に強くなる。

発言の精度なんて誰も気にしない。

緊急事態の時に、
「予断」や「見込み」をしゃべることというのは、
日ごろ「権威」といわれている人達の義務だと思うのだが。

##物語の力
>私はどんな人にも区別なく満足な医療を提供したい
>そのために医師として2つのことを大切にしたい
>どんな障害にも屈しないことといつも患者の傍らにいることだ

SARS で命を落とした医師、カルロ・ウルバニの言葉だ。

>ウルバニは患者の傍らに居続け、どんな生涯にも屈しないという信念を持っていた。
>新型肺炎に関しても、自分の信念に基づき、命を落とした。
>彼の命と引き替えに、世界は新型肺炎に立ち向かうことができたのである。
>[SARSと闘った男〜医師ウルバニ 27日間の記録〜](http://d.hatena.ne.jp/bn2islander/20060216/1140101839)

感染症の専門の人が見れば、亡くなったこの医師の行動というのは必ずしもベストではなくて、
たぶんこの人が死なずに帰還していれば、もっと的確な経験を中央に伝えることができたはず
なんだけれど、それでもこの人の物語を批判しちゃいけない。

SARS の時の医療従事者の行動とか、あるいは中国の救急隊の人達の行動というのは、
もう理屈では説明できない。義務を通り越して、宗教的な情熱で、現場で働く。

SARS 収束後のインタビューなんかを見ると、彼らを動かしていたのは、
「祖国のため」とか「人類のため」みたいな、平時なら笑っちゃうような
安直な物語の力であったのだという。

中国だけに逃げ場なんて無いだろうし、現場から脱走したって病院の外には軍がいるから、
たぶん現場に止まって働く以外の選択肢なんて、最初から無かったんだろうけれど。

洒落にならない疫病のパンデミックみたいな、本当の緊急事態の時には、
経済学や生物学の世界でいわれるような、「利己的行動の結果生じる利他行動」なんかでは
説明できない、本当の利他的な行動をおこす人がいる。

911 の時に崩れるビルに突入していった消防士とか、あるいはSARS で亡くなった
カルロ・ウルバニみたいな。

こうした人達は、英雄幻想という物語に「**酔って**」いる。

酔っ払っているから無茶ができて、またその行動は、あと知恵でイヤミな見かたをすると、
必ずしも本当に正しい行動では無かったりもするのだけれど、それでもそんな人たちが
一人もいなかったのならば、今ごろはもっと多くの犠牲者が出ていただろう。

ネットワークは、情報の伝達に大きな力になる反面、
こうした「物語」の力を破壊してしまう。

疫病対策の現場なんて、「自分は止まって頑張ろう」という思いと、「逃げよう」という思いとの
戦いの場だ。

ネット上で「止まる奴がバカ」とか、「俺もう逃げた」みたいな意見がたくさん出れば、
前線に止まって何とかしようと考える医師の意志は、もう崩壊寸前に追い込まれる。

破壊されかけた物語の説得力を維持するのもまた、現場の指揮者の仕事だ。

指揮官が、保身だけはかりながらギャーギャーいうだけの人ならば、みんなその人よりも、
医師のコミュニティの意見のほうを信じるだろう。そんな病院からは、間違いなく人がいなくなる。

指揮する人の人間性が、そうした噂話のネットワークの力をひっくり返せるぐらい魅力的な
ものであるなら、どんなに厳しい状況であっても、人はきっと集まる。

「熱い」人と「暑苦しい」人とは違っていて、同じく「頭がいい」人と「頭がよすぎる」人とも
また違っていて、熱意や頭の回転だけでは人はついてこないんだけれど、
たぶんどこかに最適なバランスというものがあるはず。

##鳥インフルエンザのこと
このところ鳥インフルエンザの報道がだんだん増えてきていて、
これが大流行する可能性が、増している。

スペイン風邪の例もあるから、鳥インフルエンザが変異して、世界的に
流行するというのはファンタジーじゃなくて現実問題なんだけれど、
対策が進んでいない。

うちの県で、感染症ベッドは全部で8床。結核病棟を全部入れるとその10倍ぐらいにはなるけれど、
たぶんそれでも全然足りない。

スペインかぜのときは、感染者6億人、死者4000〜5000万人。

日本だけでも当時の人口5500万人に対して、39万人が死亡しているから、
死亡数を当時の1/10ぐらいに
抑え込めたとしても、やはり相当な数が亡くなるだろう。

感染を抑えるためには鉄道や道路は封鎖されるだろうから、対策は自治体ごととか、
最悪病院ごとに勝手にどうぞ、という話になりかねない。

インフルエンザはしょせんはウィルスだから、極端な話2ヶ月間だけ自分の部屋に引きこもっていれば、
それだけで感染を免れる。

実際のところ、医者が現場に立とうが、自宅に引きこもって薬だけ渡していようが、
トータルの死亡数もきっとそんなに変わらない。むしろ、感染終了後の合併症治療のためには、
その時点で元気な医者がいっぱいいたほうが、救える患者さんの数は増えるかもしれない。

行政と医者、あるいは患者さんと医者との信頼関係がとことんまで破壊されている現在、
医師のコミュニティの流れは、「僻地に止まる奴はバカ」で一致している。

鳥フルが蔓延した時、患者サイド、行政サイドが要求するのは、「**そこに立って、我々のために
英雄らしく死んでくれ**」だけれど、
医師のコミュニティで広まる意見は、「下らないことしないで、さっさと逃げましょう」だろう。

近未来に本当に鳥フルが流行したとき、たぶん全ての医師はこうした
両極端の思いに引っ張られて、試される。

自分がそのときどっちの決断をするのか。実際のところ、どのぐらいの医師がとどまって、
どのぐらいの医師が持ち場を離れるのか。

正直全然分からない。