そして3000年前ごろにいたると、

「私が牛を見つけた。」「私が王に贈り物をした。」というように、
「私」が登場するのだという

「意識」が頭の中に登場したのは、今から3000年ぐらい前の比較的最近の話で、
それ以前の人々には意識は存在しなかった。

人が意識を持つ以前の時代には、感覚系の入力は、意識による抽象化を受けることなく、
直接頭に入ってきた。感覚された情報は「神様の囁き」となって、直接その人を動かしていたという。

たとえば、芸術的な絵画を描くのに、意識はそんなに重要ではない。

3万年前に書かれたラスコーの動物壁画は、
極めて写実的な筆致で描かれたものとして知られている。

ところが、その描きかたはいきあたりばったりであったり、
以前に描いた動物の上に、無造作に新たな動物を描いたりと、
おかしな部分も多い。

ラスコー壁画の主は、その技術のわりには、意志の存在が希薄で、
ちょうど自閉症患者が描いた絵のように感じられるという。

これは恐らく、当時の人々は感覚された視覚情報をそのまま書き写すことには優れていても、
感覚情報を認識して「これは牛の群れである」などと抽象化することは
できなかったからではないかと考えられている。

神様は囁き、感覚されたものを画像化してくれるけれど、
そこに思考のプロセスは存在しない。

##アプリケーションとしての意識
脳のシステムの中では、意識が占める役割というのは意外に小さい。

意識というものは、脳のカーネルなどではなく、単なるアプリケーションだ。

>脳というシステムのOS を動かすのに、Windows のようなGUI を用いるのか、
それともUNIX のようなコマンド入力を用いるのか。