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  • 「いらん子中隊」の小説は予想以上に面白かった。第二次世界大戦の戦闘機が底になっているから、機動に制約が多くて、登場人物の工夫が楽しい #
  • 途中で力尽きたけれど、なんたらシュピーゲル、の道具立ては、シューティングゲームみたいな装弾数無限大を超技術で実現しているところから物語を始めていた。 #
  • あれをやるとなんだか、ひたすらに火力と火力のぶつかり合いになって、たしかにページ中弾だらけになる派手な描写が延々と続くんだけれど、人間が動かない #
  • 「制約要素」というのはすごく大事なんだな、とか思った。昨日どこかで読んだ「滑り台おに」のお話しなんかも #
  • 近所の子供が鬼ごっこやってて、そのうち飽きて、滑り台の周辺限定ルールで鬼ごっこ始めた、というお話し。いわゆる滑り台使うと、上から突き落とされて大怪我するだろうけれど、最近 #
  • 「滑り台」を鬼ごっこに導入すると、地形要素、戦略要素が生まれるらしい。「おに」が人間を丘の上に追い込んで、そこからさらに追い込みかけると、人間は、滑り台使って逃げられる #
  • ところが滑り台に乗っかると、素早い滑降ができる代わり、回避が不可能になってしまうから、鬼がフェイントかけて下で待ち構えると、逃げられなくなる #
  • 鬼の回転が速くなって、ゲームが盛り上がるんだという。ルールの制約が少ないほどに、元々の能力差は圧倒的になって、ゲームは単純な火力戦になる #
  • 制約を上手に入れると、人間要素を上手に生かせると、やり過ぎると「ジョジョ」になって、一見さんがちょっと覗いても分らなくなる危険がある #
  • @n_enot これこれ。。。 #
  • 「上手な制約」を見つけるのはたぶん難しいんだけれど、「ストライクウィッチーズ」は、第二次世界大戦の「ルール」をそのまんま持ってくるという無茶をやっていて、小説読んだ限り、 #
  • ルールに上手な制約を設けると、プレイヤー同士の能力差みたいなものが隠蔽されて、公平感だとか、面白さが演出できる #
  • 恐らくはルールというものはそもそも制約であって、あらゆる制約を排除していくと、「滑り台おに」はただの鬼ごっこになって、それはさらにかけっこになって、もともと足が速くない奴 #
  • 制約というか、ハンデもまた、プレイヤーから隠蔽されないといけない。 #
  • 動きの鈍い子供であっても、滑り台の下で上手にフェイントかければ、素早い子供を倒せるけれど、タイムハンデ付きの徒競走だとか、「速い子供は重い荷物を背負う」ルールで追いかけっ #
  • 同じハンデを付けて勝つにしても、「勝った」気分と「負けてもらった」気分では、まるっきり意味あいが違う。このあたりの不均衡は何から来るのか、よく分らない #
  • 偶発要素だと「勝った」気になれるだろうか? 徒競走のゴール前1m で全員停止して、そこでさいころ振って出た目の大きな子供からゴールにすれば、能力差は隠蔽されるけれど、全然楽しく? #
  • 「イロモネア」という、60秒間限定で笑いを取るルールの番組を見てた #
  • お笑い芸人の人たちにも、心拍数みたいなサイクルがそれぞれあって、それに合わせられない人はつらそうだった #
  • 緊張しているだとか、ホームグラウンドじゃないとか、いろいろな要素があるんだろうけれど #
  • いつもなら、たとえば70秒サイクルで芸の緩急つける芸人が、60秒の制約をはめられると、なんだかすごくつらそうに見える。同じことしゃべってるのに、笑えないような #
  • 最小公倍数と最大公約数みたいな。「ここ」という場所でしか活躍できない「素数」の芸人さんとかいるんだろうか。。 #
  • ストライクウィッチーズのモデルになった人たちはみんな軍人で、たいていは筋骨隆々とした男性 #
  • あれを「きわどいブリーフを浅く穿きこんだ漢達」が空で戦う漫画に描き直すのも、面白そう #
  • イスラムの「ラダマン」は、何となく伝染病の予防にも役に立ってたような気がする #
  • 人がたくさん集まる場所で、一定期間、そこにいる人たちが動けなくなるルールを入れると、インフルエンザみたいな病気はそこで止まって、広まらない #
  • 電車や車で、人が動き回る社会だと、病原菌は際限もなく広がって、基本的にそれを止めることができなくなってしまう #
  • 教祖の宣言一つで、穏やかな戒厳令が出せる社会は、鳥インフルエンザみたいな未知の脅威がきたときに、すごく役に立ちそうな気がする #
  • イスラムの文化はもちろん全然わからないけれど、テレビの報道なんかを見た限りでは、コミュニティに属する人を制御するための「とっかかり」みたいなものが、教義の中にたくさん埋め #
  • @Dominion525 演技の枠というのは、主催者側が決めたらいけないのかもですね。。 #
  • 食べ物にも価格に見合った装い、みたいなものがあるんだと思う。「黄色いアイスクリームは高級」みたいな #
  • 子供の頃に贅沢品だったレディボーデンのアイスクリームは、確か黄色かった。たまに別銘柄の白い奴があると、なんだかすごく安っぽく見えた。普段買ってもらってたやすいのと、同じ色 #
  • 年に1回、母方の実家に帰るときだけ、新幹線に乗った。新幹線の車内で売っていたカップアイスは高くて、おいしくて、真っ黄色だった。すごく黄色くて、それはよく覚えている。20年以上 #
  • おそらくは100円しないカップアイスが真っ黄色でも、それはいかがわしく見える。着色したんだろうなんて #
  • アイスクリームの黄色さは、茶色くて高級そうなカップだとか、新幹線でしか食べられない特別さだとか、そういうものに裏打ちされていないと、説得力がない #
  • で、ハーゲンダッツが買える今になって思うと、ハーゲンダッツのバニラアイスは、白い。で、その白さが、自分にとっていつの間にか違和感がなくなってる。いつからそうなったのかわか #
  • 学生だった頃、アイスと言えばシャトレーゼ売店の30円アイスだとか、真っ白な、見た目も味もそこそのバニラアイスで、あの頃はそれでも、白さに違和感なかった。 #
  • 高級そうな人が絹のドレスを着ていれば、ああ絹だと思うけれど、安っぽさが透ける人が、絹っぽい質感の服着てたら、ああ最近のナイロンはきれいなもんですねなんて思う。 #
  • 白さというのは、アイスクリームの文脈では安っぽさみたいな感覚につながっていて、それがミスマッチでなくて、王道として、いつの間にか受け入れてる #
  • 今時「絹のドレス」なんて着る人いないように、どこかのタイミングで、黄色いアイスは高級、という価値観それ自体が古いものになったんだろうけれど #
  • そのきっかけだとか、ハーゲンダッツが何をしたのかとか、わからない。そういうのは、誰かまとめていそうなものだけれど #
  • @Mahal 自分の中での高級さは、アイスだと、黄色いこと、カップが濃い茶色をしていること、丸いことなど。。しょせんは記号だけれど、子供の頃は、乳脂肪分のパーセント表示とか見てな?? #
  • 比べて食べるようなことはしたこと無かったから、絶対に、味わって決めてたわけじゃない、ということは断言できる。雰囲気がすべて。 #
  • @Mahal 「おいしさ」に求める何かが全然違うんですかね。。。美味しんぼだったら、牛のせいになるんでしょうけれど。 #
  • 「トウモロコシで育てられた牛になど、この風味は作れない」だとか #
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