Fri, Sep 04

  • 02:37 名前から自由になって機能で考えよ、という教えもありだけれど
  • 02:39 相手の文脈を書き換える道具としては、名前というのは便利だなとも思う
  • 02:42 検死の時とか、警察のひとたちは、たいていは自分達の死因を持ち込んでくる、
  • 02:44 それがどれだけ医学的に納得のいかないものであっても、それを覆すのは大変だったりする
  • 02:46 ところがこちらから病名を切り出すと、
  • 02:47 ここに専門家のいこう効果みたいなのが働いて、話が簡単に通る
  • 02:51 名前のもつ融通のきかなさは、裏を返すと、相手に自分の文脈を押し付けるための道具としての便利さでもある
  • 02:54 専門家が専門家である原動力になっているのは、名前を運用できるというところなんだと思う
  • 02:55 最近は、鍋島ばっかり
  • 03:08 植芝理一はやっぱり正しかったんだと、最近思うことしきり
  • 13:16 心肺蘇生の講習会。参加者全員マスク着用義務とか、医療従事者の集まりとしてどうかと思うけれど
  • 13:17 マスクというのは要するにじゅぐなんだろう
  • 13:24 @blindwalk 主催するがわが、やれるだけのことをした、という象徴みたいなもんですね。。
  • 17:24 お昼休み。予期していたとはいえ、講師の先生がみんなもと下級生とか、前いた病院の看護師さんだとか
  • 17:25 あれはお互いすごく気まずい

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