Wed, May 12

  • 12:52  #maoyu 「まおゆう」の物語を読んでいると、あれに出てくる軍人にしても、商人の人たちにしても、必ずしも正しい道筋を選択枝ないし、決断が裏目に出ている、というのが面白い
  • 12:54  #maoyu 設定上、彼らは軍事とか、経済の考えかたを、人類史上初めて学んだ人たちなのだから、ある意味当たり前なんだけれど、読者の視点から彼らの振る舞いを眺めて、「俺ならこうする」的な、みんな素人なのに、軍人の、商人の、交渉者の、それぞれの目線で物語を読んでいる
  • 12:56  #maoyu たとえば「経済の視点を持って社会を眺めること」は、たいていの経済の本が目標にしていて、達成できている本は少ない。そういう意味で、それぞれの視点で物語を眺められる、登場人物と一緒に学び、失敗できるというのは、新しい体験だった
  • 13:06  「これは悪いことだ」とか、「これはいけない」と教えられる機会は多いし、「どうしてそれがいけないのか」を教えられる機会も多い。で、「どうしてそういう悪いことが、それでも行われているのか」を教えられる機会はなかったし、それを教えるのは難しいんだろう。
  • 13:33  @HiroSaka7 そういうものを考える機会というのは、それでもあっていいんじゃないかなと。。  [in reply to HiroSaka7]
  • 14:31  #maoyu 「誰もが参加できるファンタジー」というのが面白いと思った。命をかけなくても、特殊な能力を持っていなくても、血のにじむような努力をしなくても、読者は物語世界の誰かになれるというのが
  • 14:40  @ShojiMasuda それはいい。。超人揃いの物語の中にあって、普通の人にも物語を動かす役割というか、希望というものがきちんとい用意されているのがいいなと思ったのです  [in reply to ShojiMasuda]
  • 14:50  「争いはいけない」と教える物語は多いけれど、「どうしてそれでも、人は争わざるを得ないのか?」という説明を試みている物語として、「まおゆう」は新鮮だった。このへんが普通、野心とか、悪いオーラでスルーされていたから #maoyu
  • 14:54  そろばんをはじきながらも、それでも剣でなく握手を目指した人たちの物語とか #maoyu
  • 14:59  「学校で教えてくれない大切なこと」というのはいい言葉だ。。RT @mituyama: #maoyu まおゆうの良いところは学校で習う事と習わないけど大事な事を解りやすくまとめている所かなぁ。
  • 15:03  勉強の方向性として、「エッジの先に行く」というやりかたと、「雲の中心を知る」というやりかたとがある
  • 15:04  知識というか、勉強の対象となる何かというのは、様々な意見があって、全体として、雲みたいな不定形をしている。境界がどのあたりにあるのかは、どこにいても、雲の切れ目を目指せばいいけれど、中心がどこにあるのかを見定めようと思ったら、雲のなかをさまよわないといけない
  • 15:05  エッジを知ることは、必ずしも雲全体を知ることにはつながらないし、雲の中心を知ったところで、そこは「エッジじゃない」から、今ひとつかっこよくない
  • 15:06  それでもたぶん、世の中にはエッジを知っていることが大切な領域と、雲の中心であり続けることが大切な領域とがあって、その勉強は、前者は基本的に楽しい、自意識を満足させやすいけれど、後者はある意味つまらない。
  • 15:07  コンサルタントみたいな、対価を取って知識を提供する人たちが持っている、あるいはお金を支払って購入するに値するものというのは、そんな「雲の中心」なのだろうと思う。学ぶのにつまらないからこそ、買うことに意味がある
  • 15:11  「まおゆう」で夏休みの読書感想文書かれると、学校の先生頭抱えると思う。あらゆる視点から感想書けるし、その視点が「言い」の歌「悪い」の歌、たぶん学校では教えてないだろうから #maoyu
  • 15:18  イタリア演劇のパンタローネとか、アルレッキーノとか、コロンビーナとか、ああいうのが今の日本だと「魔王」とか「勇者」になるんだろうか。。
  • 15:19  あるいは狂言の太郎冠者とか
  • 15:24  @lucifer_af 今だと読書感想文メーカーでクリック一発ですもんね。。。  [in reply to lucifer_af]
  • 16:16  経済もそうだし、いろんな学問全部そうなんだろうけれど、学んじゃうと、「こうでなくてはならない」という思いばっかりが強くなって、学問というものが本来、「この先はどうなるんだろう」とか、「どうしてこうなるんだろう」という疑問を乗り越えるための道具であることを忘れてしまう#maoyu
  • 16:18  向こう側を見るためにはそもそも何が必要なのか、あらゆる学びの最初の一歩は、やっぱりここから始めないといけないし、そういう導入部分みたいなものは、たぶん物語として語られるのが、一番望ましいんだと思う #maoyu
  • 16:35  個人的には、「解説」みたいなのがあったらうれしいなと思った。実世界で経済学者をしている人とか、商人をしている人、軍事に明るい人があの物語の場面を見て、「自分たちならこうしたと思います」みたいなのを一言で #maoyu
  • 16:37  あの物語は、読んでいて「なるほど」と思うことしきりだったんだけれど、同時に読者として、自分の感じた「なるほど」が、本来の学問として納得していいのかどうか、そういうのも知りたくなった #maoyu
  • 16:43  学びは本来、「そもそも」から導入しないと絶対歪む。「これは正しい、ありがたいものだから学べ」をやった結果として、学んだ苦労それ自体が、いつしか学問に対する確信に変わってしまう
  • 16:45  間違っていないという思い込みは、今度は例外を切断していく。「そもそも」がないところに努力だけやると、疑問を感じる理由がないから、努力を積めば積むほどに、その人は頑なになる。間違いがあって、手続きを疑わないで、「もっときちんとやれば」みたいな、形容詞ばかりが増えていく
  • 16:46  それが国語算数理科社会であっても、経済学であっても、だからそれがなかった昔を想像して、それが生まれて初めて見えた「向こう側」の物語というのは、きっと必要なんだと思う

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