Thu, Aug 19

  • 00:25  効果のない操作が繰り返されるとき、術者はたいてい、呪的反復の状態に陥っている。
  • 00:28  呪的反復が目指した先には「やれるだけのことはやった」状態がある。あらゆる可能性を探索し、試みたという意味ではなく、一つの方法を機械的に繰り返し、結果として全ての資源を損耗しつくした結果もまた、しばしば「やれるだけのことはやった」という満足で総括される。
  • 00:30  経験を積んだ術者は、決断しないこともまた決断であることを知っている。全ての行動は、決意の結果、あるいは決意しなかった結果でもあり、意志の不在が決断を遅延させたら、それもまた決定となる。
  • 00:31  どのような決定といえども、決定しないよりは、行動の根拠として望ましい。
  • 00:31  「何もしないことを決断する」状況があったとして、状況を動かさないのなら、目線を変える決断をすべきだと思う
  • 00:32  良かった昔をふり返るのを止めて、今をみる。このときはこういう状況だったから、今もその状況が継続している、という視点を外して、昔を切り捨てて、今の状況から、現在おきていることの推定を試みる
  • 00:33  視野を広げる。問題の焦点となっている、あるいは自身がそう思い込んでいる場所から、あえて全く別の場所を検索することを試みる。胸の疾患ならばお腹を、あるいは頭を。感染症を疑っていたのなら、別の機序で発熱を生じる疾患を
  • 00:34  確信を持って待ちを決断したとして、祈ってすがるのでなく、次にやることを決めておく。2日待つならそう決める。状況が変わらなかったら、次にこの検査を出すとか
  • 00:35  待つ代わりに、目の数を単純に増やすことを考える。いろんな人に聞く。相談する。あるいは紹介する。保身のための最大の努力は、同時にもしかしたら、不明の状況を打開する手がかりになるかもしれない
  • 00:38  待つというのは本来、恐ろしく重たい決断なんだと思う。コストで言ったら、「とりあえず頭からつま先まで造影CT」の方がよっぽど安い。待ちの対価はその人の時間資源であって、お金では絶対、時間は買えない。だからこそ、「待とうよ」は、そんなに気軽に言っちゃいけない
  • 00:39  一番貴重な資源をいただいて、それで「何もしないこと」を決断するのだからこそ、バックグラウンドでは、あらゆる努力、時間という資源に見合った何かが為されるべきで、それが何なのか、何ができるのか
  • 01:30  文脈でなく部分から考える。「肺炎の割に白血球が低い」でなく、「白血球が下がる、咳の出る病気」を
  • 01:31  ベテランに相談する。鉄火場にあって「そこで立ち止まって考える」ためには経験がいる。10年じゃ足りない
  • 01:32  解剖で考えるならば左右差を、漠然と見ていたなら解剖から、視点を変えて検査を見直す
  • 01:34  「一番考えられる疾患」でなく、「見逃すと一番痛い順」で考える。結核と感染性心内膜炎は必ず2トップに来る。必然的に、痰の検査と画像、血培と心エコーは、「あらゆる不明」において共通経路になりうる
  • 02:15  @p_shirokuma 自分が想定してたのは、訴訟の本と、羽生名人の書いた本でした。。  [in reply to p_shirokuma]

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