Fri, Oct 01
- 13:23 マキアヴェッリ を「悪人」認定したのは誰なんだろうなんて考える。君主論読むと、あれは君主が別の君主に対して冷酷非情であることを説いていて、非情さで得られたりソースを、基本的には全部、自国民に突っ込むことを説いている
- 13:24 マキアヴェッリはあの時代、今だったらむしろ市民運動をやっている側みたいな立ち位置で、あの人の本は、基本的には「君主がしっかりしないから民が困るんだ」という立ち位置だから、国民の側から、マキアヴェッリを「悪人」認定するのは、なんか違う
- 13:25 君主論の解説書なんかを見ても、「悪」とか「悪人に学ぶ」とか副題に書いてあって、漠然と「悪」イメージは今でもあるんだろうけれど、あの人を「悪」と呼んだのは、じゃあどの社会階層なのかといえば、少なくとも市民じゃないような気がする
- 13:27 君主論が流行ったとして、それで一番困るのは君主の側で、あれをまじめにやると、君主の決定とか、責任が莫大なものになる。君主同士、傷をなめ合う仲良しグループではいられなくて、お互いがライバル企業の経営者みたいな関係になることを強制される
- 13:28 君主論が流行って、一番困る人はといえば、統治をしたいんじゃなくて、特権階級どうしで仲良くのほほんとしていたい人たちで、あの本は、そういう安寧を奪うから、そういう人たちから見ると、マキアヴェッリは冷酷な悪人に見えるんじゃないかと思う
- 13:29 政治家の人で、「君主論読んでます」と断言している人はいるものなんだろうか? それを宣言しちゃうと、もうあらゆる失政が自分の責任、と言ったも同然だから、そう宣言するのはけっこう勇気がいるはず
- 13:58 @keriryu やっぱりこう、「上」の側から、残酷という感想が出てきたのですかね。。あの本は誰に残酷かといえば、それは国民でなく、むしろ君主の側に対してなわけで [in reply to keriryu]
- 13:59 創造というのは意味の解体と投影なんだと思う。概念に呑まれた人は、何も生み出せないし、投影すべき媒体を持たない人は、消費することしかできない
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