Sun, Feb 27

  • 17:28  スタンドアロンが主、ネットワークが従であった時代は、できることに価値があった。いろんな技能のネットワーク親和性が高まった現在、むしろ「私にはこれができません」とはっきり宣言できることが、ネットワーク世間での価値を生み出す
  • 17:29  ネットワークをたどることができれば、そこにはあらゆる専門家がいる。「何でもできます」という看板は、あらゆる専門性に対して2番手である可能性はあっても、「それしかやりません」という看板には負ける。それが看板倒れであったにせよ
  • 17:31  ネットワーク時代、問題を抱えた人はリストを眺める。上位から当たって、「これ」という人や施設を探す。「何でも」の看板は、常にリストの2番手であって、「予備」に甘んじることになってしまう
  • 17:34  スタンドアロンの昔、価値のあった「何でも」は、今は単なるセカンドチョイス、「保険」であって、「道具」になった。「何でも」の旗を守ることは大切かもだけれど、頑張った結果の舌打ちは、人の心を簡単に折る
  • 17:34  不確実なものに対峙した人は、何かに祈る。理不尽は、半歩下がった穏やかな関係を育む。確実なもの、「何でも」の看板を見た人は、それを単なる道具だと思う。サイコロを振るときに祈る人は多いけれど、ハサミが切れなかったなら、ハサミはたいてい舌打ちされる
  • 17:36  専門家志向と開業志向というのは、あれは同じものを見ているのだと思う。家庭医を目指す人は、同時にたぶん、ベッドフリーをセットにしているのだろうし。どちらも「できる」ために出なく、「できない」を身につけるための選択肢に思える。
  • 17:37  「できる」から「できない」への世代交代が、だいたいたぶん、今30代後半ぐらいの世代で起きている。高齢化と、専門分化とが化学反応した結果として、専門外をなんとなく診療することが許されず、ネットワークをたどる必要が一気に高まった
  • 17:38  今病院長級の仕事をしている人たちは、「できる」を成功体験として持っている人が多くて、そういう人の下でずっと働いて、自分なんかよりも圧倒的にモチベーションが高かった若手は、みんないなくなった。
  • 17:42  こう、受ける側からみた「敬意」みたいなもの、それが欠損するとおいしく使われている感覚が生まれて心が折れる何かというのは、相手の側が、不確実性に対する備えを持っていてくれることから生まれるんだと思う
  • 17:43  たとえば3割の確率で断る施設に電話するのなら、3割を2つ重ねれば9割方取ってくれるから、最初から病院を2つお願いすることになる。断られるかもだから、通れば喜ぶし、喜ぶ声は聞くほうだってうれしい
  • 17:44  「必ず取る」をうたう相手に電話するのは、最初からそれが確実な前提だから、代案がない。備えがないから、「すいません今無理」なんて言おうものなら、「何言ってんですか!」とか、「ふざけんな!」とか。「うるさいお前は黙って取ればいいんだ」と言われたこともある
  • 17:46  こういうのは要するに、人間に対する言葉ではなく、切れないハサミ、使えない道具に対する言葉であって、「必ず」とか「何でも」というのは、そもそも人間が出すべき言葉じゃないんだと思う。人間でいたいのなら
  • 17:47  人でいたいのならば、自分が何を「できない」のか、しっかりと考えて、できないを運用しないといけない。ゴッドハンドの人たちは、あれは現人神への道を選んで人間辞めた人たちだからこそ、「できる」って言うんだけれど
  • 17:55  @a_blind_parrot ありがとうございます。。  [in reply to a_blind_parrot]
  • 17:56  うちの町は老健施設に沈みつつある。ここで「何でも」の看板を出すのは自殺行為で、実際問題、夕方から夜間の紹介、「1週間前からご飯を食べなくなりました」なんてのが増えた。「何でも」なんだから、今でもいいでしょう?なんて
  • 17:57  「何でも」があれば、それは道具なんだから、利用される。施設の転院搬送要員を削って、日勤と準夜の切り替わり、日勤者の帰宅と同時に、紹介患者さんを「ついでに」病院に置いてくる。片道切符で。あれが必ず18時30分ぐらいで、ものすごく困る
  • 17:58  @ERnanchan あれ本当に心折れますよね。。  [in reply to ERnanchan]
  • 17:59  こういう状況でも、やっていくこと自体はできる。救急の看板を下ろす。「何でも」を日中に絞って、夜は断る。施設は対応せざるを得ない。逆に救急に物量を投入する。一晩8万円ぐらいの加算が取れるから、今度は「安価な入院」という選択肢が「できない」になる
  • 18:00  利用する側にとって一番おいしい、おいしいとはすなわち、何も対策せずに使える「何でも」を外さないと、人としての扱いは得られない。開業医というのは、「ベッドがない」を得ている。がん専門医は「がんしか診療できない」を得ている。じゃあ何でも屋は何が得られるのか
  • 18:03  @ERnanchan 相手方は「患者さんを紹介したい」のではなく「判断を手放したい」のだから、「何でも」が近所にあると、そこに投げるのが最短なんですよね。。専門施設だと、自分でMIを診断しないといけないから  [in reply to ERnanchan]
  • 18:16  断られることを折り込んだ人は、誰かを紹介するときには、いくつかの施設でポートフォリオを組む。駄目なら次を当たる。断られる前提を持たない人は、断られたら、もっと大きな声で同じ施設に依頼する。代案がないんだから。映らないテレビをたたいた昔と、携帯でワンセグ開く現在と
  • 20:06  食べるのが前提とは言え、説得力を持った「できない」を獲得することが、ネットワーク時代を生きていく上での処世術みたいなものになる。「できる」ことというのは、マニュアル化が徹底すれば、ある意味入り口に過ぎないわけで
  • 20:09  お手つき即死の恐怖って、救急の現場と、ネットみたいな場所と、よく似てる。結局そういう恐怖で人が折れるのも。そういう想像力の働かない人が身ぐるみ剥がされて破滅するのも。

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