Mon, Apr 11

  • 18:24  意志決定はたいてい適当で、ぽん、と適当にいくつかのプランを放り投げて、そこを目指してのこのこと歩いているうちに、外野が勝手にストーリーを作ってくれる。あ、そういう見かたもあるんだ、なんて、面白そうな見立てを引っ張って、それが当たるように方向修正かけると、深謀遠慮になる
  • 18:25  深謀遠慮をやるには緻密な未来予測が必要で、予測というのは、緻密にやるほど外したときに馬鹿を見る。意志決定にかける時間は短いほどよくて、緻密をやるには情報を集めるための時間がどうしても必要で、集めた情報は、時間とともにすごい勢いで陳腐化する
  • 18:26  だったら最初から、情報収集や分析をあきらめて、とりあえず適当な方向に進んで、ほめてくれる誰かの言葉を引いて、歩んできた道筋で勝利宣言したほうが、世の中ちょっと楽しい
  • 18:28  何というか、すごく「考えてる」という評価をもらう人ほど、本当は考えて動いているのではなくて、考える振りの裏側で、適当にやる度胸を持っていただけなんじゃないのかな、と思う
  • 19:08  ゆれゆれ
  • 20:28  山は降りるほうが難しい。山に登ろうと思ったならば、登りかたを習うよりもむしろ、山から下りてきた人に、見てきた風景を尋ねたほうが正しい。
  • 20:29  弱いものいじめの技法を知っているのがプロ、という定義があるのだと思う。解ける問題に対して、充分な物量を投じることで、問題解決をより容易にできる人が専門家。そうでない人に物量を託しても、問題解決は下手するとかえって遠ざかる。
  • 20:30  「もっと物量があれば勝てたのに」という負け惜しみは、素人も、プロも変わらない。ところがじゃあ、物量を実際に渡したとして、使いかたを知らない人は、その物量をかえって持て余してしまう
  • 20:31  1対1、個人の技量でぎりぎり勝てる相手に挑んで勝ってみせることは、プロに迫るアマチュアの得意とする場所なんだと思う。こういう状況だと、強い人が強くて、プロとかアマチュアとか関係ない。
  • 20:33  あるいは逆に、相手が2人、3人で責めてきて、こちらが一人しかいないとき、多勢に無勢でそれでも頑張り抜ける能力というものも、素人/プロの区別をつける役には立たないのかもしれない。
  • 20:34  多勢に無勢の逆、無勢に多勢で挑んで、なおかつ危なげなく勝ってみせるのは、見た目卑怯だし、ある意味勝って当たり前だから、つまらない。ところがたぶん、その当たり前ができる人とそうでない人とは明らかにいて、たくさんの人で協力して、当たり前のように勝ってみせるためには訓練がいる
  • 20:35  1人に多人数で挑んで勝つのは卑怯だし、つまらないから、もしかしたら武道の文脈では教えない。教わりたい人もいないだろうし。卑怯な勝ちかたを知っていることが、裏を返せば比較的珍しい技能であって、プロとしてお金をもらうに足るような気がする
  • 20:37  武道や戦争みたいなものだけでなく、様々な状況に、物量に相当する何かというものはあって、物量なしで何とか成功してみせることよりも、むしろ物量があって言い訳できない状況で、つまらなく、危なげなく成功できる技量を持った人が専門家なのだと思う

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