Sun, Apr 17

  • 14:17  消防士って、何か拝んでる神様とかあるんだろうか?建築なら山の神様だし、酒造なら松尾様とか、不確定要素が多いお仕事には、その業界ごとに神頼みをする対象があるものだけれど。拝まないけれど、西洋医学にだってパラケルススなりヒポクラテスなり、そういうのがあるし
  • 14:26  ワシントンマニュアルみたいな研修医向けの入門書は、昔から新刊が出るたびにずっと買っているのだけれど、年を取るごとに、読む場所が変わってくる。研修医の悪露は治療のところしか読まなかったけれど、最近は逆に、「病因」のところにばかり線を引く
  • 14:28  病因の項目は、その疾患みたいな症状を呈する可能性のあるいくつかの病名が並べてあるだけで、そういえば昔は、真っ先に読み飛ばしていた。病名は部長が与えてくれるものであって、自分たちは治療だけ考えていればよかったから
  • 14:30  症状だけあって、自分の責任で、お客さんを安定した状態にまで持って行かなくてはならない立場になってみると、怖さの重心が変わってくる。治療がうまくいかないことよりも、そもそもその病名にたどり着けなかったこと、外した治療にゴーサインを出すことのほうが、よほど恐ろしい
  • 14:31  こういうのも「初心者は火力」につながる部分があるのだろうけれど、なんというか、いざ当事者になってみて、火力偏重だった人が責任と対峙すると、もう微動だにできなくなる。治療の方法は分かっているくせに、自分自身にゴーサインを出せなくなる
  • 14:33  高責任環境でそれでも決断を下すためには、治療に相当するもの、火力に相当するものをどれだけ鍛えたところで無意味で、決定するための技術というか、ある選択枝に踏み込むときに、いつでも元に戻れるような命綱を、自分に何本結べるかが鍵になる
  • 14:34  自分たちの業界だと、診断を「これだ」と決定して、確定診断を行う検査を提出するタイミングで、同じような症状が出る別の疾患を除外できるだけの検査を同時に提出することができれば、診断を外したときに、うろたえないで後戻りできる
  • 14:35  「こういう検査を出せ」とは書いていないけれど、「こういう病気もあるよ」というのは、教科書にはさらっと書いてある。書いた人は「さらっと」書いては以内のかもだけれど、研修医の頃には、そのリストは流して、全く読んでいないに等しかった。そういうのは、つまらなかったから
  • 14:36  @kazuneco 「火の神様」というのも、ちゃんといるものなのですね。。  [in reply to kazuneco]
  • 14:38  こう、攻める立場でものすごく元気よかった人が、いざ旗振る立場になっていきなり無能になってしまうのも、火力偏重の裏返しなんだと思う。攻める技術を学ぶのは楽しくて、それ鍛えると強くなったように思えるんだけれど、いくら「強く」なったところで、立場が変わると、その火力が意味を失ってしまう
  • 14:40  自分の決定に保険をかける技術というか、「臨床意志決定」というものは、もう少し真剣に考えられてもいいのだと思う。無保険で診断一直線、はたしかにかっこいいんだけれど、そういう大道芸は見て楽しむものであって、再現するもんじゃない
  • 14:41  @kazuneco 消防士の人たちとか、未知状況に命張って飛び込むんだから、やっぱり何かに「祈る」のかな、と思ったのです  [in reply to kazuneco]
  • 14:42  @m_um_u 今よりずっと火力偏重だった昔、自信満々で島の病院に飛ばされて、もう全く身動きできなかった記憶が。。  [in reply to m_um_u]
  • 14:44  「怒らないから好きなことをしてごらん」は、子供に向ける言葉であって、大人なら、「好きなことをしても怒られない」だけの備えを自分で行わないと、意志決定なんてできない。で、そういう備えは、学校では教わらない。
  • 14:48  @m_um_u 「自分はこういう体験をしたよ」ということしか足場はないから、そこから一般論引っ張ると、どうしたって整合しないですかね。。  [in reply to m_um_u]
  • 14:51  研修医の人たちなんかはたぶん、「何となく」何かを決定していることが多いと思う。輸液を2本にするのか3本にするのか。安静度をトイレ歩行にするのか、病棟までにするのか。全粥を出すか、5分粥にとどめるか。そういうごく当たり前のことが、責任を見ちゃうと、いきなり重大事になる
  • 14:52  高責任環境で自由に振る舞うためには、常に保険をかけることと、自分のあらゆる意志決定に、「なぜ」と問われたときの解答を用意できないといけなくて、何となくやっていることは、しばしばそれが「何となくやっている」ことすら感覚されないから、分からない
  • 14:53  「ちゃんとやっていれば、訴えられたりしないよ」は、だから教えかたとして間違いであって、むしろ「常に裁判官に見られていると思いながら意志決定を行いなさい」のほうが正しいのだと思う。現場から何となくを排除できれば、争える。それができない人は、たぶん身動き一つできなくなる
  • 14:55  そういうのは、最終的には病院内部での全ての振る舞いにかかってくるのだと思う。どうしてここで食事にするのか。どうして今休んでも大丈夫なのか。どうして勉強して、その時間を他のことに生かさないのか。漠然と熱心なだけでは、意志決定はいつまで経ってもできるようにならない
  • 14:58  @tot_main 結局こう、自分の全ての持ち時間を、理由で埋め尽くす練習を続けていくことが、意志決定に必要なことなんだろうなと。。  [in reply to tot_main]
  • 15:25  @KKanehira 耳なし芳一みたいに、責任という怪異と対峙するには、全身を理由で埋め尽くさないと、持って行かれちゃうんでしょうね。。  [in reply to KKanehira]
  • 16:06  Subversion を常用するようになって、差分というものの便利さを実感できた。誰かが文章を訂正すると、その差分だけがメール配信されるのは本当にありがたい。ああいうのこそ、電子教科書のサービスとしてやってほしい。
  • 16:12  @dasukichi でもそれに応じた訓練を積めば、対応はできるのではないかな、とも。  [in reply to dasukichi]
  • 16:27  @junzabroP 自分の本は、全てLaTeX で作られていて、最初の版がリビジョン150ぐらい、今度の2刷めのリビジョンが157とか、全部バージョン管理下でやっているのです。。  [in reply to junzabroP]

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