Tue, Aug 23

  • 01:11  http://t.co/WAuP3qV 怒首領蜂 大往生 デスレーベル のインタビュー記事。未だによく読み返す。リソース管理とクリア計画の考えかたこそ、学校で教えるべきだと思う
  • 01:13  勉強って、受験専門の私学であっても、努力を重ねなさいとしか習わなかった。努力のやりかたというか、指導それ自体ははるかに洗練されていただろうにせよ。先輩方の受験体験記も配られたし、それはものすごく貴重な資料であったにせよ、努力継続のコツみたいな記事がほとんどだった
  • 01:14  医師国家試験の昔だって、基本的には努力と蓄積だった。あれはもう量が命だったし、努力継続のために勉強会形式をとり入れることが、工夫と言えば工夫だったのだけれど、今にして思えば、受験勉強にしても、国試勉強にしても、戦略要素に著しく欠けていた
  • 01:15  @SiTube 浪人した人の「現役時代を振り返る」という章が、すごく役に立ちました。。  [in reply to SiTube]
  • 01:16  そもそも目標はなんなのか。「受かる」というのは結果であって、合格にたる成績を挙げるとはどういうことなのか。最高到達点が目標なのか、それとも取りこぼしを少なくするのが目標なのか、その区別すら、受験の時にはついていなかった。
  • 01:16  @SiTube 当時はこう、どれだけのデータを読む機会を与えられても、そこからパターン見いだすとか、そういう思想がそもそもなかったんですよね。。  [in reply to SiTube]
  • 01:17  得意な科目と不得意な科目はあった。で、じゃあ合格するという目標を前に、得意を磨いたほうがいいのか、不得意を底上げしたほうがいいのか、その判断がつかなかった。そもそもそれは「判断しなくてはいけないのだ」と言うことを、当時理解していなかった
  • 01:18  目標があって、達成のために必要なリソースを想像して、そこで初めて、それを詰むために何をすればいいのかを考えられる。リソース管理の考えかたは、ゲームセンターに通っていれば当然身につかないといけないのに、日参してたのに、自分にはついに学ぶ機会がなかった。見るべき何かを見てなかった
  • 01:19  @SiTube あのインタビュー記事は、そういう意味で、気付きが大きいんだと思ったのです。  [in reply to SiTube]
  • 01:21  努力して、全力を出せば解けるようにするという勉強の考えかたは最初から負けるの前提のところがあって、クリア計画考えて、努力しなくても合格ライン超えられるように力の配分を考えられないと行けない。全力でいけ、努力は裏切らない、という考えかたは戦略の放棄であって
  • 01:31  @smectic_g ゲームセンターにないじゃないですか。。。  [in reply to smectic_g]
  • 01:32  @hyuki 当時の生徒指導では、たとえば社会科にリソースを割けるのならば地理を選べ。100点が狙える。倫理政経は勉強しても80点の代わり、勉強しなくても70点取れるから、お前は理科に全力投球して倫理で社会科捨てたほうがいいとか、そういうアドバイスはもらいましたね。。  [in reply to hyuki]
  • 01:33  今から思えばそういう意味で、桐蔭学園ではけっこう具体的なリソース管理について、「リソース管理というものがある」ことこそ習わなかったにせよ、配分を具体的に指導してもらっていた。あれだけでもずいぶん違ったんだと思う
  • 01:35  応用から基礎を見いだすのは学生の仕事とは言え、当時手取り足取りリソース配分調整してもらったくせに、大学に入って、じゃあ自分がリソース配分考えながらいろいろできたかといえば、全然そんなことなかった。一人暮らし初めてゲームセンター遠ざかったのが失敗だったんだろうか。。
  • 01:36  考えかたって、名前を付けて初めて見える部分が少なからずある。リソース配分の考えかたとか、終わりから逆算して不確定要素を減らす考えかたとか、自分はある程度身についてこそいたけれど、このインタビュー記事読むまで、あんまり見えてなかった
  • 13:17  それが好きな人にものが売れなくなった業界というものは、今度は逆に、それを好きでない、最初から興味のない人がそれだけ増えたことをメリットとしてとらえて、ものを売らずにお金だけ取るやりかたを考える
  • 13:20  一つの部品がいくつもの機能を兼ねた設計というものは、部品点数こそ減るけれど、部品が受け持つ機能が複雑になってしまう。畑村洋太郎はこういうのを批判していたけれど、逆にそういう設計をされた機会は、コピーされにくくなるような気もする
  • 13:21  あるパーツが3つも4つもの機能をかねて、全体として「これ」というバランスしか取りようがない設計をすると、あからさまなデッドコピーをしない限り、思想だけ受け継ごうとしても再現できない。
  • 13:23  ちゃんと動く設計をして、それぞれの部品が受け持つ機能をシンプルにされた機械は、それがどれだけ複雑なものであっても、考えかたをまねて機能をコピーすることが比較的容易になってしまう。海賊版が当たり前の今だと、逆にこういう設計はよくないのだと思う
  • 13:25  よくできた水冷エンジンをコピーすることは比較的容易だけれど、空冷エンジンをコピーすると、全てのフィン一枚ににたるまで同じ形にするぐらいでないと、性能が出ないどころか壊れてしまう、とか
  • 15:39  交渉を行っても落としどころがどうしても見つからないときに、言い分の違いを強引にお金で変換するのが民事訴訟の場所なんだから、話にならない人を訴える、というのは自然な流れに思える。スルーするとか、大人の態度であるようでいて、ルールに乗っかっていないというか
  • 16:37  カズオイシグロの「わたしを離さないで」という小説は、登場人物が臓器移植目的のクローンだった、というところが物語の核というか、その気付きこそが読者の得難い体験になるように作られているけれど、これを早川SF から出すのなら、たぶん裏表紙のあらすじ欄にネタバレが書かれてしまう
  • 16:38  SFしょうせつと、それ以外の小説とでは、単に科学的とか、舞台が未来というだけではなく、作家が力を入れている場所がけっこう違うような気がする。文学の作家が一番力を入れて描写した何かが、SFだと背景に置かれた単なる小道具に過ぎなかったりする
  • 17:08  http://t.co/q8SbA9G 書いた
  • 17:26  @objectO 申し訳ありませんでした。。。もうずいぶん前の本だし、密林見たらもう売っていなかったから、いいかな、と思ってしまいました  [in reply to objectO]
  • 19:37  島田紳助の会見、文章におこされたものを読んだ。なんというかこれは、事実の管理がきっちりできている、という印象。見解というか、島田紳助の側から見た事実を物語として語っていて、その物語に無理がなさ過ぎる印象。磨いて引っかかるものがないというか
  • 19:39  事実が自分でも管理できていない、たとえば通信のログが手元にないとか、事実関係が記憶の彼方で曖昧なのに、誰か別の人が詳しく状況を覚えている可能性があるとか、そういうときには物語を物語として語れない。「詳しくは覚えていないのですが」という但し書きが欠かせない
  • 19:40  島田紳助の物語る経緯は、そういう意味でスムーズに過ぎて聞こえた。「こういう事実があった。自分はそれを認める。自分の認識に照らして後ろ暗いことはなかった。会社からそれが違法と聞かされた。自分が未熟であった」という論理で一貫していて、未来から過去を振り返っていた
  • 19:53  物語は普通、過去のあやふやな事実関係があって、見解だとか、話者の立ち位置は、時系列と共に作られる。最初の出会いは単なる事実、事実が重なってようやく、過去との整合性を備えた見解、相手に対する自分の立ち位置が決まる
  • 19:54  島田紳助の会見は、出会いの当初から、一貫した見解が語られる。あれはだから、非合法な人たちとの、島田紳助なりのつきあいかたという見解の元に、過去の事例が整合するように再構築しているのだと思う
  • 19:56  再構築された事実関係と、それに基づいた見解との組み合わせは、その事実の真実性がきちんと管理されている、という前提において強固であると言える。だからあの場で語られた様々な事実について、島田紳助は嘘をついていないし、その事実の信憑性を突っ込むのは悪手だと思う
  • 19:57  会見の席で、過去の謹慎とか、自らいたいところを一通り語ったというあの態度もまた、自信の関わった事実について、あの人なりの管理ができた、事実が今さらひっくり返される可能性がないと判断したが故のことなんだと思う
  • 19:58  あのへんは自分が助言するなら、むしろいくつかの管理された事実をあえてスルーして、ハニーポットよろしくそこに罠仕掛けとく気がする。質問を集中させておいて、実はその場所は対策済み、のような
  • 19:59  見解の崩しどころは、語られなかった部分にあるのだと思う。本当にあの人は、述べた見解のとおりに振る舞っていたのか。あれだけ一貫性を強調するやりかたをすると、逆にそこを崩されると瓦解するからけっこうおっかない
  • 20:01  あの場で語られなかった過去の事例に何があるのか、興味がある。そこに何か、整合性の取れていない振る舞いがあれば、そこが突っ込んでほしくない場所なのだろうから。
  • 20:03  引退という大きな決断の結果として、誰が何を得たのかがよく分からない。たとえば危害が会社に及びそうになったから自ら関係を絶ったにしては、島田紳助という存在は大きすぎるような気がする。引退したところで、これから責任を問われて、政治家じゃないんだからみそぎができるわけでもないし
  • 20:04  やはりこう、一貫しすぎている、というのが気になる。一貫した態度の元に行動した。その態度が間違っていたことが最近分かったから責任を取って引退する、という論理はきれいに過ぎる
  • 20:06  もっと無難にやるなら、「最初は出会いが楽しかった。それが業界的に黒だとうすうす気がつきながら、やめられなかった。ずるずるここまで来て、いよいよそれが黒だと思い、上司からそれを指摘された。自分が間違っていた」という見解のほうが、傷口を小さくできるような気がする
  • 20:08  自分の認識が段々と変化していく中で、現在の自分から見て過去の自分が間違っていた、という持って行きかたをすると、そこで謝罪の機会が生まれる。自分は正しいと思うことをしていた。業界の正しさと、それは相容れなかったという持って行きかたは、頭を下げられないという大きな欠点がある
  • 20:10  謝罪は人間の側に、自分自身の側に持ってくるべきだと思う。「自分は頭が悪かった」という落としどころ。価値の衝突を物語の中心に持ってきて、「結果として価値観の違う人たちの迷惑になった」ことに頭を下げるのは、人間が頭下げてる気がしないというか、血が通ってる気がしないというか
  • 20:12  島田紳助の語りは、どこかこう、頭の回転が速い人が、頭を下げたくない、という感情の元に物語を組み立ててるような印象がある。自分は普段、どこで頭を下げられるだろうか、ということを考えながら交渉ごとに臨むから、よけいに
  • 20:12  @sea_ts 自分も会見の文章を読んだだけだから、そのあたりはウォッチャーの人たちが解説してほしいですね。。。  [in reply to sea_ts]
  • 20:15  謝罪の会見は通常、「システムは間違っていなかった。人間の側に油断があった」という落としどころを目指す。それは間違いなんだけれど、そう間違えることで、システムは現状維持で行ける。一番コストを低く抑えられる。
  • 20:16  人間が判断しなくてはいけない、というシステムそれ自体が間違いであったという落としかたをすると、こちらのほうが未来につながるけれど、お金がかかる。だからみんなやらない。島田紳助の会見はむしろこっちに近い。それが自分には不思議に思える。個人の得にならないのに
  • 21:25  @kagakaoru きれいすぎる説明って、逆に勘ぐっちゃいますよね。。  [in reply to kagakaoru]
  • 21:54  @Henachoko_D ラジフォーカスが冠動脈に迷入、とかだったらありそうなものなんですけれどね。。J ワイヤーだとちょっと信じられない  [in reply to Henachoko_D]
  • 22:06  http://t.co/LtZKrei マッドマックスのファンイベント。雰囲気よく出てる

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