Mon, Jan 02

  • 14:29  顔本、「この人」という誰かを目当てに検索するのがけっこう難しい。医局で隣に座っている人にたどり着くのに病院名から飛べないとか
  • 14:30  誰かの「友達リスト」を眺めて、「きっとこの人ならば知り合いだろう」的な方向にまた飛んで、何回か繰り返すとようやく見つかる印象。もう少しスマートなやりかたがあるんだろうけれど。
  • 14:32  誰かを捜すときに、昔の検索エンジンは非力に過ぎて、検索するよりも、大手サイトの「リンク集」をたどって探したほうが早かったりもした。Google先生以降、必要なくなったけれど。顔本は、荒らし幕府とかGehoo!Japan あたりがまだ賑わってた頃にちょっと似てる
  • 14:34  Twitter で漠然と誰かを捜すときには、全文検索で適当な単語を検索して、面白そうな誰かを捜す。内容からIDに行き当たるというか。最近はずっとそればかりで、全文検索の効かないメディアって久しぶりというか
  • 14:38  @KKanehira 案外、あとから刺されにくい構造になっているのかもですね。。  [in reply to KKanehira]
  • 14:39  Twitterが炎上元になって、顔本から正体が割れることはよくあっても、その逆はあんまりなさそう。検索しにくいのは、炎上阻止に役立ってるんだろうか。。
  • 14:40  @KoujiMatsumoto 検索がやりにくいから、一度友達を増やしておくと、あとは勝手にアクセスが流れてくるとか、「つぶやかなくていい」というのがメリットになるのかもですね。。  [in reply to KoujiMatsumoto]
  • 14:48  @KoujiMatsumoto 気持ち悪いぐらいに交友関係を当てに来ることもあれば、物理的にすぐそばにいる誰かにたどり着くのにえらく遠回りを強いられたりして、こういうのは、それを楽しめばいいのですかね。。  [in reply to KoujiMatsumoto]
  • 14:58  顔本て、社会的な地位だとか、経歴だとか、何かを「持ってる」人達の高級な場所を目指してる、という理解でいいんだろうか?
  • 15:00  友達かもしれない人のリストには、顔写真と履歴、あとせいぜい1行ぐらいの文章しか書けない。その人がどんな面白い文章を書いているのか、あのリストからは分からないし、リストはとにかく多い。ああなるとたしかに、きれいな履歴か大きな抱負か、どちらか無いと引っかかってこない
  • 15:01  顔本といえば「意識の高い学生」、という変な先入観を持っていたのだけれど、顔写真とプロフィールの1行紹介に勝負かけようと思ったら、意識の高い学生みたいなやりかたしか思い浮かばない。誰もがリクルートスーツ着るみたいに
  • 15:27  先入観、あるいはフレームワークの共有が学習を加速する現象は、もっと積極的に利用されてもいいように思う。同じ先入観を共有できる人達が集まると、その場は硬直する代わりに、学習の速度が人数に比例して速くなる可能性がある
  • 15:29  嫌韓の人達が、一連の歴史認識に対する質疑応答に長けているのも、あれは想定質問リストを一生懸命暗記しているのでなく、誰が敵で誰が味方なのかがはっきり規定された先入観を共有した人達は、先入観に基づいた物事の飲み込みが早い、ということなのだと思う
  • 15:30  ガンダムでたとえると理解が早い」現象なんかもそうなのだろうし、中国史は嫌いでも三国志は好き、みたいな人達もまた、先入観を拒否する「学」の態度と、誰が正義で誰が邪悪なのか、先入観を積極的に作り出す物語との差なのだろうし
  • 15:31  ローマの歴史を「ローマ人の物語」で学んだり、日本の近代史を司馬遼太郎で学ぶのは危険だとは言え、同じだけのテキスト量を、先入観の入らない教科書で読もうとしたら、それを最後までやり通せる人はたぶん少ない
  • 15:33  「先入観ゼロ」は、学問が背負うべき建前なのだろうけれど、これはやはり学習速度とのトレードオフになる。で、誰もが学者である必要は全くなく、実用的な知識を効率よく摂取できれば、世の中の大部はそれで十分まわるし、学習速度の向上は、先入観による硬直に十分引き合う
  • 15:34  物語に基づいて摂取された知識は定着しやすく、効率がいい。物語を拒否した場合はその逆。たとえば医療で、先入観に基づいた、図書館みたいな知識量の医師と、先入観ゼロ、その代わり乏しい知識量の医師と、じゃあどちらが優れていると言えるのか
  • 15:35  たいていのサービス業において、想定される状況の数は、「大きな有限」であると言える。大きな数を、「小さな無限」ととらえるのならば先入観はないほうがいいし、「大きな有限」であるととらえるのならば、その大きさに対応した物語を作って、必要な知識を配置するのが正しい
  • 15:36  先入観を持たない、特定の型を持たない態度はたしかにあらゆる状況に有効かもしれないけれど、雲のジュウザラオウに敗北した
  • 15:44  「浅くて大きな」問題は、恐らくは健全な先入観が役に立つ。恐らくは世の中の問題の多くは、「深くて小さい」と間違って解釈されて、学習が不必要に難しくなっているのではないかと思う
  • 15:46  歩きかたを共有しない限り、軍隊は行進ができない。歩きかたに型をはめることで失われるものは大きいかもしれないけれど、型にはまった「不自由な歩きかた」で当面何とかなる問題は、世の中にはものすごく多い
  • 15:47  桐朋のバスケット部だったか、ナンバ歩きをとり入れて強くなった事例というのは、やはり例外なのではないかと思う。型にはまらない発想が役に立つ場面よりも、型を学べば済んでしまうことのほうが多い
  • 15:49  「教科書は批判的に読め」という教えを昔受けた。それが必ずしも正しいとは限らないからと。実際にはむしろ、「教科書の作者を批判できるぐらいにしっかりした先入観を持って本に当たりなさい」と教えるべきだったんじゃないかと思う
  • 15:52  自分が分厚い教科書を読むときには、たいていは「この疾患においてこの検査は正常」という記述を探す。「この疾患においてこの検査が異常値」という文章は、入門書にいくらでも書いてある。診断部分や定義部分は別の本で調べる。必要なものをこれと定めると、読むべき量は減る
  • 15:53  「速読」をうたうやりかたもまた、本を読む前に、自分がその本に何を期待するのかをよく考えよ、と説かれる。目の運動とか右脳云々、というくだりよりも、「本を読む前にその本から学ぶべきことを決めておく」ことに、速読の肝があるような気がする
  • 15:59  @looklook1979 速度というものは、硬直と引き替えにする価値があるんだろうなと。  [in reply to looklook1979]
  • 16:00  @wtnabe 速読術の人も、全くの初学分野は遅くなりますもんね。。  [in reply to wtnabe]
  • 16:10  たとえば内科の分厚い教科書を開いて、「肺炎とは肺の感染症である」みたいなごく当たり前の、でもたしかに外せない文章に線を引くようではいけないのだと思う。厚い教科書でそれをやると、付箋だらけで収拾がつかなくなる
  • 16:11  学ぶ準備ができていないのに厚い教科書に当たると気力負けする。学ぶ準備ができている状態とは、その教科書に記載された知識から、自分にとっていらない知識を分別廃棄できる状態のことで、それには確固たる先入観が必要になる
  • 16:12  入門書をいくつか読んで、「自分はこの分野を、こうした理解に基づいて学習しよう」という態度を決めてから本に当たると早く読める。もしかしたらそれは、分厚い教科書を隅から隅まで読むことで得られたであろう何かの体験を取りこぼすかもしれないけれど、速度はそれに引き合う
  • 16:13  @weagstar ネットだと、ミスリード狙った見出しとかつけるから、難しそう。。書いている人もみんな、全文が読まれることを前提に文章を書くでしょうし  [in reply to weagstar]
  • 16:14  @Mahal こう、厚い教科書ほど付箋密度を下げていけないと、その人は学習できていないんじゃないかと思うのです。。  [in reply to Mahal]
  • 16:17  たとえば今書いてきたようなことも、どうせどこかネットにまとめるんだけれど、これを顔本でやれるかといえば、難しい。「教科書は先入観無しに読まないといけないよ」なんて、付箋だらけ、線だらけになった「学習」の成果を見せてくれた上司とか、友達リストに入っていたりするから
  • 16:20  前にコミュニケーションの本を作ったときにも、母からは「お前の文章は人を不快にする形容が多すぎる」と、ずいぶん削られた。そんなこと言われたって、読んだ人を不快にすることが文章の目標だったんだから、しょうがない。でもそういうのは顔本だとたしかに難しい
  • 16:26  @sentaroo お互いたぶん、住み分けてるんだろうなぁと。。  [in reply to sentaroo]
  • 18:03  @KKanehira 学ばないと先入観は作れないし、先入観が無い人は学べない、というのが矛盾なのです。。  [in reply to KKanehira]
  • 22:31  意識の高い学生ごっこって、要するにネクタイとスーツなんだと思う。まわりにリアル知人しか居ない、目線から絶対に自由になれない顔本世界で、極端なことと書くのは厳しい。敵対を避けて無難を目指して前向きに振る舞うと、帰結としてああなるような。
  • 22:33  ああいう場所で、変に後ろ向きなこともかけないし、身も蓋もないソーシャル実用知識も書けない。結局書ける物はといえば、奇妙に明るく前向きな記事でなければ、子どもや犬の写真ぐらいしかない。

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