Sat, Jul 21

  • 17:49  壺の中を岩でいっぱいにしても砂利を詰め込む余地はあり、砂利を入れてもなお、砂を入れる余地はある。逆をやると砂利一粒入らない。ネットにも似たようなところがあって、小さな論を無数に摂取した結果、大きな論を飲み込むゆとりを失った人がけっこういるような気がする
  • 18:58  でもたしかに、教育を通じて戦争をなくそうと思ったら、「平和」と毎日100回唱えるよりも、次の戦争に勝つためにはどうすればいいのかを考えてもらえばいいのだろうと思う。盲目的な信仰よりも、「そもそも勝てないんだ」という理解が必要
  • 18:59  山本七平が言うところの「砲兵では戦争ができない」というのはそういうことなのだと思う。砲兵は火力の比較が厳密にできて、結果がかなり確実に読めてしまうからこそ戦争を決断できないのだと。「戦力の差は気迫でひっくり返せる」みたいな、ある種の無知がなければ、そもそも戦争なんてできないんだと
  • 19:01  「戦争ごっこ」に「努力賞」を認めると、その人は「ごっこの努力」を成功体験に結びつける。こういう人が将軍になると、最前線に気迫を求め、勝てない戦争にゴーサインを出す
  • 19:02  デモの効果で政治が動くのは危ないことだと思う。それが「できた」と認識した人は、その延長線上に竹槍で爆撃機を撃墜できる気迫を求める。本人は笑って否定するだろうけれど。
  • 19:05  http://t.co/QTu7GsBa
  • 19:08  http://t.co/1gfzhzEv
  • 22:02  心肺蘇生の講習会に出席するなど。何事においてもそうなのだけれど、見るのはたやすい。学ぶのはちょっと難しい。教えるのはさらに難しく、そのまた奥にようやく、到達点としての「ほめること」がくる。誰かを肯定するのってほんとうに難しい
  • 22:03  心肺蘇生の手順は教科書に定められていて、教える側のインストラクターマニュアルはもっと細かく定められている。どんな項目を、どの順番で教え、それを何分間かけて喋るのか、実習で学んでもらうことと、学びに必要なシナリオも全部決まっている。
  • 22:04  講師の側は、悪い表現をすればマニュアルをただ朗読して、シナリオを演じているだけなのだけれど、じゃあそこまで自らの振る舞いを外注して、余ったリソースで何をすればいいのかといえば、受講生の「いいところ」を見つけることなのだと思う
  • 22:06  間違えを指摘するのは、いいところを見つけることに比べればはるかに容易であるといえる。「それは間違っているよ」という一言は、手順書の暗記が曖昧であっても、その手順に慣れてさえいれば容易にできる。ところが「それは正しいよ。よくできているよ」というためにはもっと注意深くないといけない
  • 22:07  正しくできたことを肯定して見せるためには、それが正しくできたといえる状況をあらかじめ定義しておかないと難しい。ものすごく能力の高い講師なら、変化する状況においても誰かを褒めるに足るだけの注意力を維持できるのだろうけれど、そんな人は少ない。
  • 22:08  「人をほめられるいい講師」を、再現性高く生み出すために、心肺蘇生のインストラクターマニュアルはすごく細かく書かれている。その細かさが、講習生に何をさせればいいのか、その時予見できる正しい行為は何なのか、どのタイミングに「ほめるポイント」が来るのかを、平凡な講師にも教えてくれる
  • 22:09  細かいマニュアルを完璧に暗記できたから講師になれるのではなく、その行為に熟達しているから講師になれるわけでもなく、そうして作られた細かいマニュアルを、「誰かをほめるための道具」として駆使できることが、講師になるための条件なのだと思う
  • 22:10  細かいマニュアルは、偉そうにするためではもちろんなく、実はたぶん講習生からの質問に答えて見せるために作られているわけでもなく、細かくすることで講習生の行動に制約を増やし、その上で「こう見なさい。こうほめなさい」という講師の注意力を集中させるためにある
  • 22:11  細かいマニュアルに基づいて、講習生の細かいミスを指摘してみせるのは悪い講師、あるいはインストラクターマニュアルの悪い使い方であって、そのあたり研修医の頃に受けた心肺蘇生の講習会と、いまのそれとはずいぶん異なる。徹底的にほめる、拍手することにみんなすごく気を使う
  • 22:13  ああいうのはアメリカからの輸入だからこその部分もあるのだろうけれど、今の講習会はどこかこう、自己啓発セミナーっぽい空気がある。あれなんかも人を一度全否定して、その上で徹底的に全肯定してみせて、講習生を揺さぶる
  • 22:14  誰かに何かを伝えたいなと思った時には、その伝えたい何かがすごいことは、もしかしたらあまり意味が無い。「それを使って、それを伝達することで、どうしたら相手を肯定することができるだろうか?」と考えながら講習会を企画するのが正しいのだと思う

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