Sat, Oct 27

  • 02:42  https://t.co/O52TdF9y うちの実家の隅田川沿いの東京下町を思い出した
  • 02:56  @kumabcdefg やっぱり向こうは、建物の渋さが違いますね。。うらやましい。  [in reply to kumabcdefg]
  • 13:34  ノンフィクション作家の落合信彦さんが以前、「マンフッド」という言葉を用いて、犯罪者集団の指向性というか、組織の目標みたいなものを解説していた
  • 13:36  訳せば「雄らしさ」あたりなのだろうけれど、盗んだり脅したりは序列の下位、殺すにしてもただ殺すのではなく、全身をめった刺しにしてみたり、車ごと火をつけてみたり、とにかくなるべく残忍なやりかたで犯罪を成し遂げてみせることが、「マンフッド」の証明になるのだと
  • 13:37  結果として犯罪者集団は年月とともに過激化し、結果として組織は大きく恐れられるようになる。抗争も激化するから天井にぶち当たるにせよ。それが「世界平和」であっても「マンフッド」であっても、組織において目標というものは、序列を定義する根拠になる。序列のある組織は方向を得る
  • 13:39  問題を解決する能力を根拠にしたリーダーと、調整のうまさを根拠にしたリーダーと、道徳や正義を根拠にしたリーダーとでは、同じ問題を解決するにしても、目指す場所が異なってくる。能力のリーダーは到達度を、調整のリーダーは納期の短さを、正義のリーダーは正しい解決を、それぞれ目指す
  • 13:41  問題解決型のリーダーは、もしかしたらメンバーを必要としない。チームからは真っ先に声の大きな無能が排除される。問題解決の品質が重視される。妥協を申し出る人間は、もしかしたら序列を下げ、ピラミッドは尖る
  • 13:42  調整型のリーダーは、自身の能力に根拠がないから、到達度のものさしが使えない。最も能力の高い人間しか使えない品質というものさしの代わりに、誰もが目に見える時間というものさしを持ちだす。妥協はむしろ推奨される。「みんなでできた」が目標になる
  • 13:44  正義や道徳の好きなリーダーは、自分の声が一番大きく、自分が最も「真面目に」その問題に取り組んでいることが自信の根拠になる。「真面目さ」というものさしは他の人の目に見えず、問題の解決にも結びつかない。運用はたいてい間違えてひどい結果になる。でもこれが好きな人は多い
  • 13:45  ロールプレイングゲームの「レベル」というパラメーターは、あれは魔王を倒すという目的においての有用性を数値化したもので、たとえば目的が単なる早押しゲームみたいなものならば、キャラクターのレベルは関係なくなる。序列には目的が必要で、両者は不可分で
  • 13:47  お前は「いい奴」だとか、お前の「評判が悪い」といった言動もまた、良い悪いの根拠はそうした序列に置かれることになる。カルト団体も自己啓発セミナーも、政治団体や、あるいは犯罪者の集団においても、扇動の手法で固められた組織にはたぶん目的と序列とが備わっている
  • 13:51  「真面目」とか「一生懸命」を政治団体の目標に据えると、無敵化した廃人が有能を排除することになる。でもそうした目標をぶちあげておかないと、今度は人が集まらない。このあたりをどう両立させるのか、政治団体は知恵を絞るんだと思う
  • 13:52  RT @katoyuu1: これはポピュリズムプリキュアの戦いである #smile_precure
  • 13:52  RT @hiranokohta: れいか「一度、ウルフルンたちに生徒会を任せるのです。すぐに破綻するでしょう。生徒達の心が疲弊し、反感が極限に達した時で、私がプリキュアとなって彼らを排除し、歓声と共に迎え入れられ、そして校則の改正、風紀委員の校内警察化、生徒会長期間の終身 ...
  • 13:54  廃人を換金する商売であるロールプレイングゲームだからこそ、真面目がそのまま地位の向上につながるような目標が設定される。あの場に要請されているのは全時間を投じてくれる人であって、問題を解決してくれる人ではないから
  • 13:55  @FTTH 自分はこの時間、常に医局にいるのです。。。プリキュアはほんとうに偶然  [in reply to FTTH]
  • 13:56  でも10月革命って、スターリンだ。。
  • 14:24  何かの概念を頭に浮かべ、メモ紙に「要するに」と書いたあとでそれに続く文章を書き、最期に「要するに」を削除するとコピーになる、というコピーライターの話をどこかで読んだのだけれど、こう、書かなくてもいい書き出しをあえて書くことはけっこう大事なのではないかと思える
  • 14:25  こう、とか、なんというか、とか、なんとなく、とか、こういう言葉を出だしに書くと、そのあと100文字ぐらいは文章が出てくる。不必要なこうした書き出しを頭の中で削除してしまうと、本文もなぜか削除されてしまう
  • 14:27  いらない書き出しをあえて書き、文字数がたまったら書き出し部分を全部削除すると3000字ぐらいのエントリーになる。真っ白な画面に向い合って3000字を思い浮かべるよりも、たぶん相当に早く目標に到達できる
  • 14:28  @tot_main 話し言葉で自由に書ける場所というのは、実はけっこう画期的なのではないかなと。PCのエディタで一人でそれをやるのも、またなにか違うというか  [in reply to tot_main]
  • 14:55  口を開けば理路整然とした言葉遣いの文章が出てくる人ならそれでいいのだけれど、「えーと、」とか、「あのですね、」とか、意味のない前置きをしてからでないと喋れない人はたくさんいる。動作として口を動かすことで、頭の中にある概念が引っ張られるというか
  • 14:56  誰も見ていないところで意味のないことをやるのは、逆に難しい。じゃあ誰も見ていないところだったら前置き抜きの理路整然とした言葉がすぐに出るかといえば、そんなこともない。意味もない前置きと、聞き手の存在と、両方揃うとけっこう雄弁になれる人は多い
  • 15:06  . @mobrast @nerimosama そういうのがぜんぜん必要ない人も、きっと多いのでしょうけれど、そうでない人もまた、意図的に意味のない前置きを置くことで、今までよりも多くの文章が引っ張り出せるのではないかなと
  • 15:57  @pathfinder924 読んだ人をなるべく不愉快にできるよう、子供みたいな口調で冷静に黒いことを書くように心がけてはいたような。。。単語の使いかたや読点の打ち方は、立花隆の文章を真似しようとして、劣化コピー山本七平の考えかたを借りるとこうなるのです。  [in reply to pathfinder924]
  • 21:25  米国にはACLS、BLSという心肺蘇生の応用・基礎の講習コースがそれぞれあって、国内にはICLSという、両者のいいとこ取りをして改良したような講習コースがある。米国の講習会は年を追うごとに簡便になり、国内の講習会は、上の先生方の熱意で支えられている
  • 21:26  米国の講習会で使われる教科書は、年を追うごとにむしろ薄くなる。訓練を受けた講師でないとできなかった講習会は、今はあらかじめ録画されたDVDを見ればいい、という仕組みに変わった。大量生産の思想というか
  • 21:28  日本の講習会は、制度が立ち上がってまだ間もないということはもちろんあるのだけれど、熱意を持った優れた先生がたが手弁当で集まって、毎週のように休日返上で講習会に当たる。あれは本当に頭が下がるんだけれど、やっぱり続かないだろうよと思う
  • 21:29  講習の品質それ自体は、日本は決して負けていないのだろうとは思う。米国のそれが大量生産品で、国内のそれが、熱意を持った名人がぎりぎり支えた到達点だというだけで。これは戦争じゃないからそれでもいいんだけれど
  • 21:29  @kumabcdefg やっぱりこういうところにも、考えかたの差みたいなものを想像してしまうのです。  [in reply to kumabcdefg]
  • 21:31  日本の上の先生方は、インストラクターの講習会なんかでは、盛り上げかたや教え方の流儀は各人それぞれでかまわない、と教える。教えるべきことは定まっていても、教え方はある程度自由でいいのだと。このあたりも米国だと、むしろ真っ先にそうしたばらつきを排除しそうな気もする
  • 21:33  チームワークって日本はむしろ下手なんじゃないのか、と個人的には思う。お互いに遠慮があって、個性のばらつきを直しきれないというか。命令するのを遠慮する代わり、「わかってもらう」ことに全力を挙げた結果、同じ状況に到達するのにすごいエネルギーがいるというか。
  • 21:41  すごいことを発想すればいいのなら、試行錯誤と運の良さがあればどうにかなる。厳密に平凡な成果を出力しようと思ったら、最高と最低、過去事例の分布を熟知していないと、まずは平凡の物差し一つ満足に扱えない。「これが平凡です」と断言できる人は、逆に言うと本当の専門家であると言える

Powered by twtr2src