ガイドラインどおりの抗生物質治療は肺炎の予後を改善する

研修医のころ、当院では抗生物質の使い方についてはかなり厳しくしつけられた。前日当直中に入院した肺炎の患者さんに日和ってパンスポリンなど落としていようものなら、翌日のチーフレジデントから厳しい突っ込みが入る。


「どういう経過から肺炎を疑ったの?」

グラム染色はした?」

「何でグラム陽性菌しか見えないのにパンスポリン?」

「アンピシリンじゃだめな根拠は?」

などなど。終いには「先生、患者さんに興味ないの?」とか、「患者さん、直したいの壊したいのどっち?」などと止めを刺されて沈没したこと数知れず。レジデントの立場で第3世代セフェム、カルベペネムなど処方しようものならもう内科中を敵に回したも同然で、「あいつ、チエナム処方したらしいよ」という言葉は「あいつ、最近援助交際がばれて取り調べられたらしいよ」と同じぐらい恥ずかしい行為と考えられていた。

そんな中で患者さんが発熱すると大変で、深夜であろうと熱源精査のための全身所見を取り直し、血液培養2セット、点滴ラインは当然入れ替え、考えられる感染検体のグラム染色を行ってからでないともちろん抗生物質の処方は許されず(例外は敗血症性ショックと髄膜炎を疑ったとき)、当直帯に病棟の患者さんが発熱したら2時間は眠れなかった。そのうちこうした行為に慣れてくると、30分もあればすべて終了できたが。

こうした考え方は別に特殊なものではなく、だいたいサンフォードガイドにそのまま従ったものであったと思うが、当時はこうした訓練をする研修病院は珍しかったように思う。

当時肺炎を疑った際にはまずは診察を行ってからグラム染色を行い、顕微鏡を見ながら細菌性肺炎か非定型肺炎かを考え、後者であればさらにヒメネス染色まで行ってから抗生物質に何を使うか考え、その上でスタッフドクターと相談してどういった治療を行うか決定した。

抗生物質の選択はなるべく抗菌スペクトルの狭いもの、グラム染色で肺炎球菌を同定してペニシリンを使って治療したら周囲からすごい奴といわれ、熱源が本当に肺炎か確信がもてないまま「どこでも効く」とばかりにクラビットの内服を処方したことが後でばれると、チーフレジデントから呼び出しを受けて説教を受ける、そんな世界。

こうした行為自体はそれまでの肺炎治療の教科書どおりの方法論を踏襲したものであったと思うが、2001年のATS肺炎治療ガイドラインの発表は衝撃的だった。内容は現物を読むのが一番だが、意訳すると「肺炎の治療にもう頭を使うのは止めましょう。病歴を聞いて重症度を決めたら、何も考えないで広スペクトルの抗菌薬治療をはじめましょう。」とでもいうもの。

Effects of guideline-concordant antimicrobial therapy on mortality among patients with community-acquired pneumonia

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これは後ろ向き研究であるが、実際にガイドラインどおりに治療を行った人と、そうでない人とで30日後の死亡率がどう変わったかを検討したもの。ガイドラインどおりの治療を受けられなかった人には救急外来から入院した人、入院後6時間以上経ってから抗生物質投与が開始された人などが多い傾向があり、重症度を一致させても必ずしも公平なスタディにはなっていないが、30日目の死亡率はガイドラインに従った患者さんで6.2%、そうでない患者さんで21.7%と有意差が出たという。

2000年を過ぎてから、欧米のいろいろな団体が手のひらを返したように広域の抗生物質治療を推薦するようになった。

当時こうした新しいガイドラインを読んで、初回から強力な爆弾を落とすようなこうした治療を「日本風の」治療と呼んで軽蔑し、アメリカ人の感染症治療戦略を信じ、頑なにグラム染色の伝統を守ってきた自分たちはいったいなんだったんだと相当打ちのめされた。

2001年以後当院からは顕微鏡をのぞくレジデントは消滅した。